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一冊の周辺 ― 『冷静と情熱のあいだ ―Rosso』

2014年11月11日

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ハワイ、グアム、サイパン……と
これまでの海外旅行先を並べると
あんまりなリゾート感だ。。。と思う。
ただ、実際のところ、休暇というのは
海で泳ぐのと浜辺で昼寝するのをくりかえすこと、
と思っているふしもあって、
遊びで都会というか都市に行ったことはあんまりない。

都市はやることのある人のための場所だと
思っていて、だから仕事で行くほうがしっくりくる気がする。

仕事を始めたころ、上海に連れていってもらって、
4回に分けて合計1カ月くらい滞在した。

毎朝ホテルから編集部のあった事務所に通勤して
同じメンバーに会って原稿を書いたり誌面を作ったりした。
事務所の入ったビルの1階にあった食堂に
みんなで降りてお昼を食べて、
夜はいろんなレストランで食事した。

東京にいるときと似たような生活だったので、
自分なりに日常や習慣が生まれた。
だから上海という街に感じる気持ちはほかの場所へのそれと少し違う。

3度目に行ったとき、
自社メンバーが揃って帰国して
上海にひとり残された。
4日くらいの短い期間だったけれど
あいだに週末を挟んでいた。

仲良くなった現地メンバーは
家族や友だちと過ごしているのだろうから
遊んで、とお願いするのも悪いかなと思った。

それで、郊外の町に出かけてみることにした。

ホテルの下に停まっているタクシーに乗って
ターミナル駅まで行った。
行きたかった西塘という町に向かうバスがあったのでそれに乗った。

西塘は運河のある水辺の町で、
民家も商店も飲食店もみんな河に面して並んでいた。
お茶を飲んだりおみやげを買ったりして、
夕景の時間まで待って
水面に映る夕日を観た。

帰ろうかなと思って、そこで初めて
どうやって帰ればいいんだろうと思った。

あとで考えると、乗ってきたバスは
新宿とかから出ているシャトルバスのようなもので
戻るバスがあるのかわからない。
バス停もタクシー乗り場も見当たらなかった。

仮にタクシーをつかまえられたとしても
ホテルの名前を正しく発音できる自信もなかった。

困って、編集部の電話番号を書いたメモを取り出した。

誰か出てくれるとしたらいつも受付に座っている女の人で
私の名前は知らないはずだった。
電話口に呼んでもらうために
上海在住の日本人スタッフの名前の発音を練習してみて、
次に中国人スタッフの曾さんや戴さんや王さんや徐さんの
名前のあとにつける「小姐」や「先生」の発音を練習した。

私の名前で取り次いでもらえなかったときのために
このとき東京にいた上司ふたりの名前も練習したけれど
“…の部下です”と伝えるには何と言ったらいいのかわからなかった。

それだけ準備してかけた電話に、誰も出なかった。

仮に誰かが電話口に出てきてくれたところで
何をしてもらおうと思っていたのかいまでもわからないけれど、
知っている人の声が聞きたかった。

異国の街の、いつもアウェー感を抱いて仕事をしていた上海の編集部が
初めてホームに見えた。
あそこに帰りたかった。

途方に暮れながら、いま大陸にいるんだなと思った。
帰りたい場所も大陸で、
地続きなのに帰り方がわからないことが不思議な気がした。


『冷静と情熱のあいだ』の「Rosso」は
人に「帰りたい場所」があることを伝えてくる。
物理的に帰りたいと思う場所は
つまり心の居場所として帰りたい場所で
故郷への慕情とは異なるせつなさのことを
全編をとおして語りかけてくる。


『冷静と情熱のあいだ ― Rosso』 江國香織 (角川文庫)



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