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一冊の周辺 ― 『ダンス・ダンス・ダンス』

2014年09月07日

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一人暮らしをしていたアパートから実家に戻って、
急いでアルバイトを探したことがあった。
大学2年生の時のことで、
見つけたのはホテルのルームメイクの仕事だった。

それはそれは体力仕事で、
一週間で放り出しそうになった。
体力仕事が苦手だなんて考えたこともなかった。
高校時代の蓄積で自信があったはずの体力は、
勝ち負けがかかっている場合にだけ発揮されるものだったのだと、
その時に知らされた。

消費エネルギーを最小限に抑えるために
広い室内の最低限のスペースを動きまわっていたら
スミのほうもきれいにね……と呆れ顔で注意された。
連泊する外国人のお客さんの部屋で、
見たこともないデザインの持ち物をジロジロ見るのが面白くて、
与えられた清掃時間をとっくに過ぎていたりした。
そういう余計なことをしなくてもそもそも仕事が遅く、
余裕がないので友達もできなかった。

それで通うのが面倒になって、
ある朝、当日になってバイトを休んだ。
月末のことで、
翌月のシフトを入れないままだった。

人手はいつも足りなかったから
こんなに使えないバイトでも、
いなくて困っているかもしれないな、と頭の隅で思った。

バイトがなくて、夏休みで、お金もないし、予定もなかった。
何よりもうしろめたさがいつもあとを付いてきた。

それで、家にこもって本を読んでばかりいた。

『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』
と続く村上春樹三部作を読んだのが、この時だった。
思考が内向的で、外側の世界のことを離れた距離から眺めるようなスタンスが、
その時の自分には心地がよかった。

読み終わってもまだ時間はあった。

三部作の続きの『ダンス・ダンス・ダンス』をさらに読んだ。
主人公が宿泊するホテルには、
ホテルの仕事が大好きで天職だと思って働いている女の子が出てきた。

フロントに立っていると君はホテルの精みたいに見える、
という主人公の台詞を読んで、
そろそろバイトしようかな……と思ったり
そこにいると妖精みたいに見える仕事をいつかしようと思ったりする程度には、
家にこもる日々に飽きていた。

おそるおそるバイト先に電話をかけて、
またシフトを入れてもらった。
体力がついたわけでもないし、
私の掃除する部屋が格段にきれいになったわけではなかったけれど、
もう逃げられないなとは思っていた。

そういうつもりでやっていたら、
少しずつ友達ができて、
友達に会いたいからという理由で出勤日を増やした。
夏が終わる頃には、
あれほど逃げ出したかったバイト先で、
従業員入り口が閉まる時間だからと追い出されるまで
バイト仲間やホテルのスタッフと集まって話をしていた。

この時の友達とは、それぞれがバイトをやめたり就職したり、
引っ越したり結婚したりしても
つきあいが続いて今に至る。
旅行にも行ったし、
4年連続で初日の出を一緒に見た。

集まって飲んでいる時に、みんなの顔を見ながら思う。
こんな仲間が一緒に働いていることも知らずに、
逃げ出したことがあったんだな、と。
このみんなと出会ったり一緒に働いたり話したりするよりも、
家にこもって本を読んでいるほうがずっと幸せな時期が
ほんの数週間だけあったんだなと
ときどき思い出している。


『ダンス・ダンス・ダンス』 村上春樹 (講談社文庫)



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