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一冊の周辺 ― 『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

2014年09月05日

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誰の書く文章が好きかとたまに聞いてもらえることがあって、
そういうときによく名前を言うのが
中島らもさんだった。

描かれる物語そのものも大好きだけれど、
文章が好きだというのは
巧みだったり軽妙だったりする技の部分ではなかった。

らもさんが、基礎的な意味での“正しい文章”を決してバカにせず、
基本に忠実で真面目で、だからこそとても美しい日本語で
奇想天外な世界を描き出すのが大好きだった。

だから亡くなったとき、途方に暮れた。
もう新しいものは読めないんだと思って悲しかった。

らもさんが亡くなった頃、
なにかのSNSの日記が書けるようになっているところに
らもさんの本のことを書いた。

その日記を読んで、知らない人がメールをくださった。

はじめまして、から始まるメールには
本が好きであること、私が日記に書いたらもさんの本を読んだこと、
とても良かったということが書かれていた。

個性の強い文章を書く人とばかり思い込んでいたけれど、
確かに丁寧でわかりやすい文章だ、という同意をくださっただけでなく
「句読点の打ち方が的確」という感想はもう
私よりはるかにマニアックで、うっかり笑ってしまった。

同じメールのなかで、村上春樹の短編集の「蜂蜜パイ」という話を
あなたはたぶん好きなんじゃないかと思うのでよかったら読んでみてください、
と書いてくれた。

すでに何度も読み返していた短編集の、
最初と最後の話がとくに好きで、
「蜂蜜パイ」はその最後のほうの話だった。

その人にはそれから、いろいろな本を教えていただいた。

らもさんの本が好きなら……という文脈から、
たくさんの作家を知り、読んでいなかった作品を読んだ。

“奇想天外(に見られがち)な人の書く真面目で硬質な文章”
という文脈から「辻仁成」が上がり、
“人の心の奥底を照らし出す上質なホラー”
という話題から「乙一」の作品を知り、
“作家でない職業を経たからこその作風”
という感想をもとに「横山秀夫」をぜひ、と教えられ、代わりに藤原伊織さんを薦めた。

面識もないままにそのうち連絡が途絶え
いまは連絡先もわからない。
ほんの短い期間の、本をただ薦め合うだけのやり取りは
豊かでぜいたくで忘れ難いものだった。

はじまりに、らもさんの本があった。

メールをいただくきっかけになった日記に引用したのは
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』の
若くして死を選んだお友達のことを書いた「浪々の身3」のなかの文章だった。


 めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが
 「生きていてよかった」と思う夜がある。
 一度でもそういうことがあれば、
 その思いだけがあればあとはゴミくずみたいな日々であっても生きていける。

 生きていてバカをやって、アル中になって、醜く老いていって、
 それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、
 そうやって生きていればよかったのに、と思う。


らもさんの死は、経緯としてはなんとなく
自分でそこへ近づいていってしまったものに見えなくもなかったけれど、
でも自死ではなかった。


『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』 中島らも (集英社文庫) 



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