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一冊の周辺 ― 『もの食う人びと』

2014年08月30日

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一緒にごはんを食べるのがすごく楽しい人、というのがたまにいて
6年くらい前に一緒に仕事していた後輩がそうだった。

基本的に大食いで、一人前で足りることはあんまりないから
初めてのお店に入るとさりげなく周りを見て、
そのお店の“標準”を確かめてオーダーを決めた。
たいてい大盛りになった。

男1・女2で昼ごはんを食べに出かけて、彼女だけが大盛りを注文した。
店員さんが大盛りを男性の前に置こうとしたときに
憮然とした感じで「私です」と言うのがおかしかった。

大盛りやおかわりができないお店では、
「それならそれで全然」という様子で食べて、
あとで何かを買って食べていた。

得てしてそういうものだけれど、大食いのわりに
手足が細くて長くて遠目には子鹿みたいに見えた。

あるとき、帰り道に寄ったコンビニで
子鹿に「おにぎり買っていいですか」と聞かれた。
聞かれるってことは買ってあげたほうがいいのかなと思っていたら、
ごちそうになったのに足りないって言っちゃって、という
彼女なりの気遣いらしかった。

足りたときはもう何も食べないし(当たり前ですが)、
足りないときはぴったり足りない分を追加していた。
彼女の胃のあたりをよく見たら、「満腹ライン」を示す線が薄ーく見えて
ラインに達するとどこかが光ったりするんじゃないか……と
本気で思ったりした。

そういう緻密さ(?)は量の話だけはなかった。

ある日には、週末に実家に帰ったときにお母さんがミキサーでまわしていた
赤いドロッとした液体はなんだったんだろう、
ということを半日くらいしゃべっていた。
こちらも、トマトジュースじゃないのかとかいい加減な返事をして、
翌日には忘れていた。

数日後にいきなり
あれね、ガスパチョでした!
と言ってきて、とっさになんのことだかわからず戸惑った。
わかったあとに、ああずっと気になってたんだな、と思った。

別の日には別の後輩から

昨日の夜、机でアタマ抱えてるから何事かと思ったら
すげぇ旨いさんまの缶詰を昼に食うつもりだったのに
家に忘れてきたって言うんです。
そのとき夜ですよ。いま思い出したって言ってんですよ。
忘れてて別の昼メシ食っちゃったんだし、
もう帰るだけなんだからどうでもいいと思うんですけどね……

という話を聞いて、
その頃には食べ物に対する彼女の思考が少しわかってきていたので、
なんとなく理解できるぶんだけ余計におかしかった。

さらに別の日、出張に行く新幹線に
立方体の箱に入ったお弁当を買って乗ってきて、
「これってイチかバチかですよね」と
いきなり極端なことを言った。

要は、6つある面のどこを上にして置けば中身がひっくりかえったりしないのか
6分の1の確率だ、ということを言いたいらしかった。
箱は確かに見事な立方体だったけれど
「上」であるはずの面にはお弁当の名前が書いてあるだろうし、
「側面」は側面らしいデザインになってるだろうから
6分の1ってことはないでしょ……と思うけれど、
一事が万事そういう感じで
とにかく飽きなかった。

見ていて楽しいのは、食べることに対して
いちいちまじめに向き合うからだと思う。

べつにどうでもいいんだけど、
という態度で食べ物に向き合うところを一度も見なかった。

コンビニのおにぎりもガスパチョもさんまの缶詰も立方体のお弁当箱も、
彼女の前に登場することができて、
“食べもの冥利”に尽きるだろうな、と思った。

結婚することになったんです、
と報告してくれたとき、
間髪入れずに「相手の家、肉屋なんです」と言われて、
生まれて初めて結婚報告を聞いて爆笑した。


できたら自分も、食べることに対してまじめでありたいと思う。
『もの食う人びと』を読むとなおさら思う。

物事には手で触らないとわからない現実があるように、
歯で噛みしめないとわからない現実がある。
そして、食べることにちゃんと向き合って
食べることを通してその先を見ようとする人にしか見えない景色がある。

そのことをこの本におしえられた。あと後輩にも。


『もの食う人びと』 辺見庸 (文春文庫)



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