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一冊の周辺 ― 『クリスマスの思い出』

2014年02月20日

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雨はきらいだという人は多い。
雨自体はともかく、外出時に降る雨はイヤだという人はもっと多い。

雨自体も外出時の雨も、とくにきらいではないけれど
雨が降るといつも面倒だな...と思う。

つまり傘がきらいなのだと気づいたのは、最近のことだった。

傘は確実に片手をふさぐので、
外にいるとき、できることがちょうど1/2になる。

その代償を払っても、まったく濡れずにいられるわけではない。
髪と顔は守れるかもしれないけれど、全身でみれば
「びしょびしょにならない程度にしのぐ」ことがせいぜいだし、
髪と顔が濡れていては絶対にまずいシーンなんて日常生活にそんなにない。

打ち合わせに行ってこちらの髪が濡れていれば、
ああいま雨降ってるんですねって知らせることができて
便利だったり……しないですかね。

だから私が傘をさすのは単に
ささないとアホだと思われるからで、
雨が降った時の行動に
「さす派」と「ささない派」がある世の中になったら
まずささない。

この屁理屈を人に話すと
「高いお金を出して気に入った傘を買うといい」と言われることがある。
いま隣に座っている後輩も、会った頃に同じことを言った。

私はこういう考え方が好きで、なるほど……と思ったけれど
自分の行動を半分に制限する完璧ではない道具を
愛せる気がどうしてもしなかった。

社会はまださす派・ささない派で構成されてはいないので、
結局のところ雨が降ると傘をさすけれど、
「傘がきらいだ」と気づいたとき、
少しだけ自由になった気がした。

好きとか嫌いとかいう問題ではたぶんないものを相手に
好きとか嫌いとか言ってみられたことに満足した。

思えば、傘は子どもの頃からきらいだった。

子どもは不自由だと思う。
良い悪いとは別の思考軸を、
好き嫌いとは別の判断軸を持ちにくい。

 「僕は七歳で、彼女は六十歳を越している。
  僕らはお互い無二の親友なのだ」

『クリスマスの思い出』の7歳の主人公は、
精神が「子どものまま」の遠縁のいとこのことを親友と呼ぶ。

名前のつけにくい間柄を大切に守り続けることもまた、
子どもの世界ではとても難しかった。

自分にとってだけ大切だったものを、
もっと大切に思ってあげればよかった。

戻らない子ども時代に、そんなふうに思うことがある。

『クリスマスの思い出』
トルーマン・カポーティ著/村上春樹 訳 (文藝春秋)



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