FC2ブログ

ひとかけらの偏見

2010年12月02日

IMG_6234

何かを理解するときには、
キーワードがあると思っています。

たとえば、スペイン語のテストに西文和訳の問題で

「(私は学生になれたことが嬉しくて)
ノートを周りの人に見えるようにもって何ブロックも歩きました。
自分が学生なんだと分かるように」

と訳すべき西文があったりする。

これは、

「私はリンゴを大事に持って歩きました……」

という内容と間違えてしまう可能性のある文章です。

「ブロック」と訳される“manzana”という単語が
本来「リンゴ」という意味で知られているからです。

「ブロック」にもなる
ということを知っているかどうかだけが、
全文を理解できるかどうかにかかっているといえます。

“manzana”が「リンゴ」だと思って疑わないでいると、
「リンゴ」としてなんとかけじめをつけようと、文法を無視する。
文脈も自分で作り出して、それ以外の簡単な単語も、
そこから派生する違う意味として捉えてしまったりする。

日本語で文章を読んでいるときでも、
相手の話す内容を理解しようとしているときでも、
こういった、ある種、“ひとかけらの偏見”といえるものが、
大きな誤解を生んでしまうことがあります。

そして偏見はたいてい、「~であるべき」から来る。

たとえばひとつの企業の核心にふれるキーワードや
ひとつの社史をつくるコンセプトを、
「~であるべき」という考え方をいちどなくして
偏見なしに、もっていたいと思うのです。

miotobi



最新記事