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日報より/約束

2010年02月25日

asa-desk

アルバイトのみんなを見ていて
わりと早い段階から気付いていたことがあります。

持ってる書類なり資料なり、
とにかく紙を渡してくるときに、
必ず書面がこちらに向くように持ち直して渡してくれる。

単にそういうことができる子が偶然集まったのか、
大妻女子大がとてもいい学校なのかよくわかりません。

まぁ、これ自体はたいしたことじゃないです。
たいしたことじゃないけど、

その自然な心遣いへの感謝から(だけじゃないですけれども)、
私が個人的に、ここでのアルバイトが、
この子たちがいずれ自分のやりたいことをやって
社会でハッピーな毎日を過ごすための
プロセスのひとつになれたらいいな…
と心底思うことは事実です。

私が、自分すらたまにできていないこんなことに
気づけたのは、ただの偶然です。
そんなことを注意して見ているわけではない。
だから、気づいた自分がどうのこうのということではないですが、

クライアントである
某学園の就職組の生徒さんたちのそういう振る舞いに、
気づけている大人がどのくらいいるのかな、
ということを思いました。

たとえば仕事の理解が早いことや、挨拶が気持ちがいい、
とかいうこと以上に、紙の向きの話には、
他者を思う気持ちが明確です。
「こうすれば見やすい」っていう。

学園の生徒がそういう気持ちに裏付けられた行動をしても、
そのことに心が動く大人がいなくてスルーされていたら、
彼女たちが高校で学んできたことの実践は
「成功体験」ではなくなってしまう。

小学校から高校に至るまで、自分が学んできたことの価値は、
行き着く先の社会の判断次第で
よかったのか、そうでもなかったのか、が
自分のなかで決まってしまうものだと思うんですね。

そこで相手を思うゆえの気遣いが認められれば
「やってきてよかった」になるし、
スルーされれば
「あれって別に大事じゃなかったじゃん」になる。

自分本位ではなく相手の立場でものを考える、
他者の満足を介して初めて自分の満足が生まれる──

そういうことを教えて社会に送り出すのなら、
迎え入れる社会がそこに価値を置く場所じゃなきゃいけない。

すべての高校は、生徒たちが飛び込んでいく社会の組織が、
それを大事にする人間のいる場所かどうかを
知る努力をして、送り出さなければいけない。

そうでなければ、やっぱり社会はジャングルなので
3年間教えてそのことに満足して
「はい、あとは頑張って」
と同義だと思うのです。

進路指導にしても、
どれほど親身にone to oneで指導して、
きちんと吸収した生徒が、
これで自分は自分の好きなことで社会貢献ができる、と
期待して企業に入ったとしても、
そこに人が人を思う心を大事にしない上司がいたら、
たとえ望んだ職種であっても、
重ねてきたものは瞬間で白紙になる。

“うちはこんな教育をしています”
ではないのだと思います。
学校⇔在校生・入学生のあいだに生まれるべきコミュニケーションは。
教えていることを、学んでよかったと思える、
つまり3年間で学んだことのその先の「成功体験」を約束する。
その仕組みづくりができて初めて、
“うちがやっている教育”を堂々と示すことができる。

いろんな会社がある。ヘンな会社もたくさんあります。
その見極めは、高校3年生に難しい。

何かひとつのことに明確に価値を置く学校であるならなおさら、
その先の社会がそのことを大事にする場所であることを、
生徒たちに約束しなきゃいけない。

社会全体を変えることが難しいのなら、
その約束の方法を学校は探さなければいけないし、
お手伝いをする私たちもまた、
そこの模索から始めなければ、と思っています。

Asa.s



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