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「プライド」について

2010年02月15日

sunset

考えてみると、アピックスの仕事には、
読者(クライアント)に「(持つべき)誇り」を
持ってもらうことに価値を置くものが多い。

学校関係の研修手引書などはもちろんのこと、
社史もそうだし、今回の企画単行本もしかりである。
現在進行中の社史に至っては、
そこに目的がある、と言っても過言ではない。

でも、この「誇り」を持ってもらうことほど難しいことはない。
アピックスにも「アピックスとしての誇り」はあるかもしれないが、
それは“教育”やら“研修”によって
もたらされるものじゃあない気がする。

いくら創業者が立派でも、
いまの組織にそのDNAがきちんと受け継がれず、
魅力が感じられないとすれば、
いくら昔はこんなに高い志があったんだぜ、
と声高に叫んでみても、なんの説得力も持たない。

ようは「いま」が大切になる。

いま現在の組織や、属する人たちが、
自分にとって魅力的であれば、素直に「誇り」を持てる。

あるいは、その組織の向かっている方向や、
哲学といったものに共感できれば、
素直に「誇り」を持てる。

でも、逆もまたしかりで、
いくら立派な歴史や伝統があっても、
いまがだめなら誇りなど持てない。

つまり、組織なり、属する一人ひとりの、
“有り様”がすべてとも言える。

「誇り」を英訳すると、「プライド」になるのであろうか。

「誇り」と言うと、
「誇り高き男」とか「もっと誇りを持とうよ」とか、
ポジティブな響きがある。
それに対して、「プライド」は、
少なくとも日本ではちょっとニュアンスが異なる。
「あいつはプライドが高すぎるからな」「へたなプライドなんて捨てろよ」
となってしまう。

先日、産経新聞に載っていた記事が面白かった。
今年5月に47歳になるプロ野球の工藤公康投手の言葉である。

「僕はね、プライドにはふたつあると思う。
『捨てなきゃいけない』ものと、『持ち続ける』もの。
捨てなきゃいけないものは“過去の栄光”。
『オレは昔ね…』なんて言い出したら終わりですよ。
僕はいつも自分の心に問いかける。
『昔の自分といまの自分は違う。しっかりと現実をみろ。
野球を続けたかったら動け、トレーニングをやれ』と。
だから先発でもリリーフでも、敗戦処理でもいい。
『なんでこんな場面でオレが…』と思うようになったら、
もう辞めたほうがいいんですよ。
逆に、持ち続けるプライドは、
自分がやってきたこと(トレーニングや勉強)に対してですね。
長く現役を続けるために、人一倍やってきた自負はあるつもりです」

プライドの、この2つの側面は、興味深い。
「誇り」にも、捨てなきゃいけない「誇り」という、
ネガティブな面は潜んでいるはずである。
それは何かと言えば、少し極論になるかもしれないけれど、
外に向かう「誇り」なのではないか。
そこには見栄とか世間体とかが、顔を出しやすい。
本来、「誇り」も「プライド」も、
自分の内面に向かう時、凄さを発揮するもののように思う。

持ち続けるべき「誇り」や「プライド」を
どのように醸成していくか。
なかなか難しくはあるけれど、
少しヒントをもらったような気がする。

Taka



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