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なんてえチームだ!

2016年03月30日

sweet19blues


録画していた映画「ペインテッド・デザート」を観覧。

日本映画ながら舞台はアメリカ西部。
砂漠の中のさびれたレストランが舞台。

日系の中年女主人は元東京ローズで、
助かるために米軍将校と寝たり、
対日協力で有罪になった友人を見捨てたりした過去がある。

店によく立ち寄る初老の男は、
近隣の牧場主かつギャングのボスを守る
用心棒たちのリーダー。
女主人に好意をもち、この仕事が終わったら足を洗うつもり。

砂漠で女主人に拾われる日本人の若僧。
レストランで働き、料理の腕の良さと真面目さを認められ、
女主人や用心棒リーダーと仲良くなる。

用心棒は若僧に足を洗ったら、一緒にレストランをやろうという。
結局、この若僧は刺客で、
料理の評判を聞いたギャングボスに自宅に招かれて料理をつくる。
1度目に屋敷の様子を確認、
2度目の招聘で仕事を成し遂げ、一人去っていく──という話。

この間に、用心棒リーダーの部下の女房がレストランを訪ねてきて、
旦那が撃ち合いで死んだことを聞かされ、
動揺して産気づくエピソードが挟まる。

用心棒と女主人と若僧が慌ててレストランで出産させる。
黒コショウを水に混ぜ、気付け薬にして産婦に飲ませたりしながら。
無事赤子を取り出した3人、夜になってたき火で暖まりながら
「なんてえチームだ」と初老用心棒。

女主人はうすうす若僧の正体に気づいていて、
もうすぐ暗殺決行というとき若僧に
「別にアンタが何しても何も言う資格はないけど、あの夜のことだけは覚えていて」という。
「私たちのチームが命を産み落とさせた夜のことを」

うちの会社の20年にも、
「なんてえチームだ」的な感じの仕事がいろいろあったよーな。
お得意先も含めて。

年齢、背負ってきた人生、考え方はバラバラだけど、
無我夢中でやった後の思わずの一言。
これからもつくってけるといいなと。

moon hill

柚子胡椒風味うどんを食べて考えたこと

2016年03月24日

udon20160324


昼、外で食べたい時は事務所から徒歩2分の
うどん屋さんへ行くことが多い。

月替りの看板メニュー、
「菜の花と鶏肉の柚子胡椒風味うどん」が
好みのど真ん中を突いていて、
先週は2回、今週はたしか、3日連続で食べに行った。

全国チェーンの店であり、
注文→受け取り→会計までが学食方式のワンウェイで済み、
しかも大半の客が連れのいない「おひとりさま」なので、
さっと入り、さっと食べるのにはもってこいである。

ところで、計5回同じものを食べて、分かったことがある。
店員さんによって、できあがりの姿が全く異なるのだ。

1、2回目の「うどん担当」
(ほかに、「天ぷら担当」と「お会計担当」がいる)は、
30代前半くらいの男性だった。

菜の花、鶏肉、そしてわかめ(品名にはないがたっぷり入っている)が、
どんぶりの中央で渾然一体となっている。
だし汁をれんげで掬って一口飲んだ瞬間、
柚子胡椒が香り、後をひく。
途中、柚子胡椒が集中している部分があり、少しむせた。

3回目、「うどん担当」は60代以上と思しき女性だった。
(偏見と言われればそれまでだが、おそらくは)何十年も
家庭の台所に立って、家族に料理を出してきたであろう
おばちゃんである。

彼女から差し出された丼を一瞥して、はっとした。
3種の具が、フランス国旗のようにきれいに整列していたからである。
さらに注目に値するのは、親指大の柚子胡椒が丼のフチに
つけられていることであった。
「お好きな量を」「お好きなタイミングで」加えて下さい、
という設計である。

この日は、最初にプレーンのだし汁を飲み、
その後少しずつ柚子胡椒を加えていくわくわく感を胸に、
3種の具を計画的に食べ進んだ。
なにより、作り手の配慮を感じる盛り付けは、やはりうれしい。

帰り道、
「チェーンの飲食店における標準化」という問題が
頭をかすめた。
ただしいレシピ(盛り付け方含む)にのっとっている
「うどん担当」はいったいどちらなのか?

そして4回目、「うどん担当」は、
先週の人物とは違う、30代男性である。
若干身構えながら、差し出された丼を見る。

どっちだ──

具材は、地図記号でいうところの「茶畑」状に盛り付けられており、
柚子胡椒は、フランス国旗のおばちゃんと同じ、「丼のフチ」方式だった。

第3のレシピに出会ってしまった。

おそらく、柚子胡椒のあるべき姿は「丼のフチ」と見て間違いないだろう。
具材の配置については、もはや知る術がないが、
きれいに盛り付けようとする配慮を感じる4回目よりも、
“一緒くた”な1、2回目の方が食べやすさ・見た目の両方において
上だったのは不思議である。


サービスの「標準化」を考えたとき、
消費者の立場であれば、
もちろん「アタリ・ハズレ」の「ハズレ」の方にはあたりたくない。
まっとうなレベルでの「標準化」が果たされていることを望む。

そして、「提供者」として、自分の仕事を考えてみた。

同じ情報提供を受けて、
成果物の要点について同じ指示を貰ったとしても、
できあがる文章は
大げさな表現をすれば書き手の数だけ異なったものになる。

しかも、アピックスのクライアントは、
提供されるサービスを比較検討して評価することはできない。
アピックスへの依頼、一本勝負である。

「レシピ」や、分かりやすい「標準化」の物差しなど存在しない
文章という商品だからこそ、
待ってくれているお客様には、
ほかの誰がつくるよりも喜ばれるものを──そんなことを思った。


sora

2016年03月18日

kokorozashi


1996(平成8)年2月29日、私と月岡さんは前の職場を辞め、
翌3月1日、正式に株式会社アピックスの一員になった。

きょう(3月1日)で丸20年が経ったということだ。
特別の感慨はないが、よく続いたな、とは正直に思う。
まずは、多くの人々、そして環境に対して、
感謝、感謝、大感謝了(da gangxie le)!である。

20周年ということで、
柄にもなく周年事業を、ということになり、
社史企画・執筆のプロとして、自分の会社の社史ぐらい創っておくかと、
社内プロジェクトが立ち上がった。

以降、独立前後のことを振り返る時間を意識して持つようにしている。

だが、考えれば考えるほど、自分の会社でやるべきことへの「思い」が、
それほどなかったことに気づかされる。
いまでは、「コンセプトは何か? 本質は何か?」と口うるさく言っている、
にもかかわらず、である。

思い起こせば、自分にとって、
大きなテーマの一つと思われる「中国」も、
最初から強い「思い」があったわけではなかった。
最初の就職先を辞める際、「中国関係をやりたいから」と、
中国を理由に使った。
その時は、ある意味で《逃げ道》として利用したわけである。

でもその後、「中国」は仕事につながった。
リアル中国(=本質)を伝えようとしないメディアが
ほとんどだった時代にあって(いまも大差ないが)、
自分が生で見たありのままの中国の姿を伝えたい──それが、使命となった。

独立の時も同じだった。
さしたる「志」もなく(少なくとも意識することなく)、
いやもっと正直に言えば、《逃げ道》として、
「アピックス」を利用したところもあった。

でもその後、無我夢中で目の前の仕事に、
そしてやりたいことに、誠実かつ必死に向き合った。
そして、気がついた時、いつのまにか、
自分の心のなかで、「使命」がかたちとなり、しっかりと芽生えていた。

最初は、偉そうに語るような「志」なんてなかった。
覚悟を決めて、目の前の自分にとっての課題に対して、
誠実かつ必死に向き合う日々、
時間を重ねるなかで、何かに導かれるようにして、
「志」が後付けされたような気がする。


Taka

「柔らかさ」の源泉

2016年03月16日

respect.jpg

先日、取材で某光学機器メーカーを訪れた。

2000年代初めに
国内大手光学メーカーの不採算部門が本体から分離し、
仏の老舗メーカーとの合弁により誕生した企業である。

シェア80%を占める最大手と同15%の2番手が双璧をなす
国内市場での船出は厳しいものだったが、
日仏両社の強みを発揮することで着実に躍進を遂げ、
発足11年目にはシェア20%超を獲得するまでになった。

順風満帆。
そう思われたが、ほどなくして荒天の兆しが訪れる。
最大手と2番手との提携である。

御社にとっての影響は──?
競合2社の提携について、そう投げかけてみた。

問いを引き取ってくれたのは、フランス人の副社長だった。
身長190cm以上はあろうかという体躯に、
柔和な雰囲気をまとった人物である。

──この合従連衡により、国内市場のおよそ50%の行方が決することとなった。
  大きな脅威であることは間違いない。
  彼らが持っていない技術やマーケティングのあり方を模索し、
  確立することがcompeteするための必須条件である。

ガリバーに対峙する術をそう述べた後で、
さらに次のような言葉をつないだ。

──企業がいつまでも成長、発展を続けるためには競合の存在は不可欠。
  彼らのことは、大好き。

その顔には、
この日1番のチャーミングな笑みが浮かんでいる。

逆境といえる状況下でのステートメントはとかく、
重くて硬く、表情はしかつめらしくなりがちである。
ましてそれが、「競合について言及する経営幹部」となれば──。

自分が抱いていたイメージとは180°異なる「答え」に
見惚れながら、気づけばこちらも笑顔を返していた。


取材の冒頭、普及版担当(アピックスは正史担当)のライター氏からの
──異なる文化を持った2社の合併において最重視してきたものは?
との質問に、「respect」と即答した副社長。

ライバルを見据える眼差しの根底にあるのも、
きっとその心であるにちがいない。


sora

宝物

2016年03月12日

26BooksForYou

昨年のクリスマスに宅急便のお兄さんが
「ちょっと重いですよ」
と持ってきてくれた大きな箱のなかに
26冊の本が入っていた。

生まれたばかりのチビのために
仕事場の皆が
選んでくれた絵本だった。

家族に対するそれと似た照れが
仕事場の皆にはあるもので、
最初に出てきたのは

どこにこんなことしてるヒマがあったんだい……

という感想だったけれど、
プレゼントでこんなに驚いたことはない。

今の時代に生まれたこと、男の子であること。
チビのことを思って選ばれたという意味で
彼にとってかけがえのないものである一方で、

これは推測だけれど
絵本を選ぶとき人は昔の記憶をたどるはずで、
数十年の時間を超えて
記憶から取り出された本には
選んだその人自身が確かに存在するという意味において、
26冊は私にとってかけがえのないものでもあった。


Asa.s

無料コンテンツの落とし穴

2016年03月08日

DSC00372.jpg

東村アキコ氏の「ヒモザイル」という漫画が
一話無料公開しており、炎上した。
インターネット上で批判が相次ぎ、東村氏自ら謝罪、休載となった。
この件から考察したいのは「無料コンテンツ」の危うさである。

“自身の冴えない男性アシスタントを立派な「ヒモ男」に育て上げ、
 バリキャリ30代女性とマッチングさせる”

という内容にあらゆる方向から批判が殺到したわけだが、
この作品はコミック販売にしていればなんの問題もなく、
むしろヒット作になっていたと思う。

過激な内容ではあるがおもしろいし、
話題性があるからこそ炎上したとも言える。
東村氏の別作「東京タラレバ娘」も、
かなり過激な内容ながら売れている。
「ヒモザイル」も批判が飛び交う反面、
応援する声は多かったのだ。

インターネットが普及して、情報が無料で得られるようになった。
今となっては当然のことなので忘れてしまいがちだが、
無料と有料では集まる客層がまったく違う。

「ヒモザイル」炎上事件は、
その客層の違いを踏まえずに情報発信すると
痛い目を見る、という典型的な例だ。

まず、有料コンテンツの場合、
ユーザーはそれに課金するか否かを判断する。

その時点で、コンテンツとユーザー間でのマッチングが図られ、
親和性の高い者のみが結合する(購入する)。
コンテンツに対して異を唱える可能性の高い者はふるいにかけられ、
精査される(購入しない)。

しかし、無料の場合は課金というハードルがないので、
一切精査されない。
フリーパスで入場してきたマッチング度の低いユーザーは、
すぐにコンテンツ批判をする。
なんの対価も払っていないため、内容の吟味をせず、
見た目だけで判断する場合もある。

これは、ラーメン嫌いがラーメン屋に上がり込み、
「なんだこれ、ラーメンじゃないか」
と見るなりクレームを入れてくるようなものだ。
(しかもその人たちはお金を払っていかない)

もちろん、コンテンツの質によってマッチングの割合は上下するだろうが、
趣味嗜好が色濃く反映される分野での無料提供はリスキーである。
認知度を上げたい場合は無料配布してもいいが、
その分批判も多くなるだろうことを覚悟すべきだ。

ここまで無料ユーザーの批判を悪質なもののように述べてきたが、
究極、批評は自由である。
藤子・F・不二雄氏の「エスパー魔美」という作品に、
思わず唸ってしまうような言葉がある。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。
 どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。
 それがいやなら、だれにもみせないことだ。
 剣鋭介に批評の権利があれば、ぼくにだっておこる権利がある!
 あいつはけなした!ぼくはおこった!
 それでこの一件はおしまい!!」


東村氏も「怒っておしまい」にして、
謝罪などせず、制作を続けてほしかった。
そうでなければ、無料公開するべきではなかったのだ。

hagi

「あの」ってやっぱり

2016年03月04日

あの夏


かなり昔、内田樹さんが、村上春樹は作品で「あの」という連体詞を
過去の共有感を引き出すうえで非常にうまく使っている、
と指摘している文章をnippoに書いた気がするんですが、
またもや強烈なものを目にしてしまいました。

関川夏央さんが『現代短歌 その試み』
で引いている小野茂樹という歌人の歌です。


  あの夏の 数限りなき そしてまた 
  たつた一つの 表情をせよ


有名な歌とのことですが、詩歌には疎いので恥ずかしながら
初めて知りました。

個人の(たぶん恋愛の?)体験を詠んでいながら
ものすごく普遍性がある。
たぶん、読んだ人は、いろいろな自分の経験を重ねあわせられる。
そして、痛切な回顧・懐旧ではあるけれども、
その瞬間を永遠のエネルギーにして生きていく前向きな感じがある。

年史でも、こういう印象を与える書き方ができれば、と。
そんでものすごく無茶な望みをいえば、全体でこういう印象を与える
年史がつくれれば、とも。
関川さんの表現でいえば、
「失われた時は『あの夏』という平易な、しかし浸透力のある言葉とイメージとで、
神速に凝縮する」


「まず自分の下腹を凝縮せーよ」
というご指摘は十分承知の上で励みたいかと。


moon hill


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