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近づいていますね

2016年02月26日

freesia_201602

tulip_201602

ume_201602



春の足音。



sora

ございませんでした。

2016年02月12日

kuronekoyamato


森健著の『小倉昌男 祈りと経営』を読みました。

小学館ノンフィクション大賞の選考委員全員が満点をつけ、
その委員に関川夏央さんと平松洋子さんが入っていること、
企業関係の書き物を仕事の中心としていること──などもあり…

若いころに障がい者の問題に少しかかわっていたので、
経営者として名高い小倉さんが、
私財をなげうって福祉財団をつくった理路も
知りたいということもあったでしょうか。

小倉さん個人と家庭に深く踏み込み、
一歩間違えるとプライバシー暴露モノになる内容ですが、
当たり前ですけれども、そうはなっていません。

強い印象を受けたのは、
何かすごい取材だなあ、ということです。

「なぜ」という素朴な疑問を出発点に、
面識もなかった第三者が他の組織、家庭、個人の中に入っていき、
ましてや私生活のネガティブな話まで引き出すことは、
相当な信頼関係がないとできない。

敬意と好意を土台に、
膨大な事前準備を重ねて小倉さんの理解に努め、
テーマを練り上げて伝えたいメッセージを伝え、
おそらくは了解がなければ書かないという損得抜きの姿勢まで示して、
時間をかけて関係を深めていったのだと思います。

もちろん、観察者・報告者としての冷静な眼と距離も維持しつつ。


森さん、7歳年下なんですけども、
自分はこういう関係を成り立たせられる人柄や識見、
誠意と礼節をもっているか、
と思わず自問して忸怩たる思い。

「昔なら定年なんだよなあ」とか
言ってる場合ではございませんでした。


moon hill

前掛けの緒

2016年02月10日

fukuhauchi


今年最初のまとまった「原稿仕事」は、
社史の〈普及版〉のためのものでした。

社史には〈正史〉と〈普及版〉という大きく2パターンがあります。

このうち〈正史〉が、
全編を通じて歴史をある程度網羅的に記述することに
重きをおいているのに対して
〈普及版〉では、
重要なテーマや事項にスポットを当て、
読者の興味を喚起しやすいかたちで提示することを目指します。

資料を読み、お話を伺い、文章にする。

一連の手順に違いはないものの、
目指す形が異なれば、「文章にする」ために求められる
頭の働かせ方は全く別ものなのだと
深く実感し、また苦しんだ数週間でした。


〈正史〉の原稿作成は
たとえるなら太巻きづくりのようなもの。

丁度良く炊きあがったご飯を
しかるべきサイズの海苔の上に広げる。
欠かせない具を中心に
季節やお客様のお好みに合わせてそろえた具もとりあわせて、
包丁を入れた時の断面を考えながら慎重に巻き込んでいく。

調理の段階から「枠組み」は見えていて、
いかに収斂させていくかが問われる――と思っています。


一方の〈普及版〉は、
今の私にとってはさながら海鮮丼です。

丼からこぼれさえしなければ、
基本的に何をどれだけ盛りつけてもいい。
その日仕入れてガラスケースに収めた海鮮を
全て少しずつ乗せることもできる。

けれども、ネタの種類が増えれば増えるほど、
見た目の華やかさとは裏腹に、
それぞれのネタの存在感は弱まってしまう。

まずはその日、一番活きがいいもの、
あるいはお客様が一番好きなネタを立たせることを考える。
もしかすると、ほかにはあとほんの少しの薬味を加えるだけで、
今日できる最高の丼になるかもしれない。

または、主役のネタをより引き立てる脇役がいるならば、
後からちょうど良い量を加えてバランスを見る。

いずれにしても、使う素材が少ない部分、
ひとつひとつに圧倒的な旨味がなければ成り立たない。


太巻きの「収斂」とは全くことなる、
「吟味」の積み重ねがそこにはあるような気がします。


「こうしたらきっと美味しい」が
太巻きでも、海鮮丼でもすぐに閃く料理人になるため、
前掛けを締め直すときだと思っています。


sora


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