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もうすぐ...

2014年10月30日

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もうすぐ。


Asa.s


birthday

2014年10月30日

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Happy Birthday!


Asa.s

一冊の周辺 ― 『星を撒いた街』

2014年10月27日

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帰りの移動で乗る電車は、
新宿か代々木を21時前に出ると
不思議なほどいつも空いている。
ほかの時間はほぼ混んでいる。

混んでいる時間に新宿を出て、
11駅目くらいで近くの席が空いた。
やっと、という感じではあったし、どちらかといえばまぁ疲れてもいた。

座っていたら、次の駅で
杖をついて片足をひきずった老婦人が乗ってきた。
きれいなひとだった。

どうぞ、と言ってみたら、
まゆげが下がってしまった。

「だって……あれでしょ? もう…電車、混んでて、席、やっと……」

そんなことない、と言ったら
まゆげを下げたまま座ってくれた。

わたし○○で降りるから、そうしたら座ってね、
とも言われた。

傍からわかりにくい不自由を身体に抱えている人は、
わかってもらうことにたぶん苦労している。
ちゃんと認知されているかどうかわからないけれど
そのためのマークもできた。

逆に、と思う。逆にこのおばあさんのような
たいていの人が席を譲るであろうわかりやすさと
相手の状況を察しようとする性格と
正確に察することのできてしまう力とを持っている人にとって、
電車に乗るというのは
いちいち心の痛むことなんだろうな、と思った。

降りたら座ってねと言ってくれているので
そのままそこに立っていたら、
おばあさんはたまにこっちを見てくる。
「あのね、よかったら……」

そのバッグを自分の杖に引っかけろ、と言う。

断ったのは、バッグには本が5冊が入っていて
おばあさんに持たせるくらいなら
いまのまま足元に置いておくほうが気がラクだったからだけれど、
「いいから、私が持つんじゃないから、杖が持つんだから」
と一生懸命な冗談まで言うので、
ちょっとウケてしまって
それでお願いした。

杖にバッグの持ち手をかけた瞬間、
おばあさんがひるんだのがわかったし、
そのあと杖をまっすぐ保つためにおばあさんが必死なのもわかったけれど、
まぁもう仕方がないのでそのままにした。

杖を両手で(私のバッグのせいだ)もつ横顔がきれいだった。


入っていた一冊が『星を撒いた街』だった。
装丁がきれいでジャケ買いしたまま本棚にあって、
あるきっかけで読み始めたところだった。
装丁も佇まいも物語も文体も美しいその本が、
杖にかかったあのバッグに入ってるんだなと思うと
重くて申し訳ないことだけれどうれしかった。


『星を撒いた街』 上林暁 (夏葉社)

一冊の周辺 ― 『眠る盃』

2014年10月11日

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手加減しておこう、と思うような
得意なことは、ほとんどない。

得意なことはみんな仕事にしてしまった気もして、
ほかのほとんどのことは頑張らないと人並みに届かない。

中学校のクラスに、子ども時代を英語圏で過ごした友達がいて、
英語の授業で英文を読むのが彼女に当たると
なめらかな発音がかっこよくて
教室がいちいち沸いた。

こちらは感心したり憧れたりして騒いでいただけだったけれど
本人はけっこう面倒くさかったのだと思う。
だんだん「ヘタウマ」みたいな発音で読むようになっていった。

手加減するほど上手い、ということ自体が、
やっぱりかっこよかった。

手加減するような得意なことは、ほとんどないけれど、ゼロではない。

魚の食べ方が、たぶん異様に上手い。

年配の人と食事する機会には、
だいたいかならず感心された。
あほみたいな恰好ばかりしていた大学生のときは、
意外なもんだよねえ……と言われたりもした。

7年くらい前、ある仕事に一緒にかかわったメンバーで
岡山県のホテルに泊まったとき、
ホテルのレストランでコース料理をごちそうになった。

メインディッシュは魚で、
メバルかかさごのアクアパッツァだった。
スープ仕立てのそれは、
周りの野菜の味が魚にしみていておいしかった。

食べ終わって、自分のお皿と周りの人のお皿を何気なく見て、
びっくりした。

魚の頭と骨と尾びれだけが、
……ちょうどあの、イラストに描かれた
満腹のネコの足元に置かれているようなやつだけが
残った自分のお皿は
テーブルの上で異彩を放っていた。 

なんとなく、しまった…と思った。

こんなことに正解も不正解もないけれど
どちらかといえば褒められるのは自分のほうだと思うのに、
いたたまれなかった。

旅行から帰って、大阪で働いている同い年の女性から
おつかれさまでした、のメールが届いた。

 「魚をあんなにきれいに食べられる女性は素敵」

と、書いてあった

長くお世話になっている50代の女性からは
楽しかったね、またご一緒しましょう、というメールに
 
 「私はいい年をして魚をきれいに食べられなくて恥ずかしいです」

とあった。

魚のことばっかりだった。

考えてみれば、
何十回も何百回も一緒にごはんを食べている夫や友達でも、
焼き魚を食べているときに私の手元をみると、
とりあえず何か言う。

それで会話が止まったり話題が変わったりするのが面倒で、
ちょっと皮を残してみたり、
骨を途中で切ってみたりするようになった。
 
それで、手加減というものを知った。

手加減しておいたほうがいいかな、という発想がまるで
なったことのない優等生になったみたいで
楽しかったりくすぐったかったり窮屈だったりした。


その人の書いた作品はほとんど読んだ、というもののなかに
向田邦子作品がある。
ほとんど読んでいるんだからまちがいなく好きなのだけれど
いつもどこかで共感していない。

それは書いた人が基本的に優等生だからで、
この視点は知らない……と思うからなのだと思う。
『眠る盃』の一話目の「潰れた鶴」の心理なんてもう、わかりようもない。

それでも、魚を食べるときに周りを見てちょっと手加減するようになって、
優等生は優等生なりに、そのことがうっとうしかったり窮屈だったりするんだな
と、少しだけわかることができたような気がしている。


『眠る盃』 向田邦子 (講談社文庫) 


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