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25th Anniversary

2014年09月24日

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9月19日、おかげさまで25周年を迎えました。

「25」という数字に、
大きな意味はないけれど
ここまで継続できたことに
感謝&乾杯!

Taka

一冊の周辺 ― 『流れ星が消えないうちに』

2014年09月19日

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面倒見の良くない姉だった子どものころに、
弟や妹のいる友達とのあいだで
他人のきょうだいをうらやましがったことがあった。

上の子は損だとか、○○ちゃんが自分の妹だったらいいのにとか、
本当はそれほどそう思っていないのに、フリで不満を言い合った。

小学校からの帰り道だった。
駅まで続くまっすぐな道を歩いていた。

 「でも」

黙って隣を歩いていたRが言った。

 「でも、自分の妹だから褒めるのはへんだけど、
  私は、自分の妹は杏子がいいし、交換したくない」

踏み出す足の少し前の路面を見つめながら、
穏やかにきっぱりと言った。

なんでそういうふうに言えないんだろう、と思った。
Rはかっこいいなと思った。

高校2年生の冬、Rは亡くなった。

夏にプールで一緒に泳いだ記憶はない。
マラソン大会は厚いコートを着込んで見守っていたし、
キャンプの夜に先生が私のいるテントにだけ何度も様子をのぞきにくるのは、
そこにRがいたからだった。

半年前にもらった手紙に「病室で書いてます」と書かれていて、
それが初めての入院なんかではないこともよく知っていた。

それなのに、死んでしまう可能性など、一度も考えたことがなかった。

同じクラスにいたのは4年生までで、
5年生になってからは休み時間を待って
ふたつ離れた教室にいるRに会いに行った。
図書室の前に、冷たい水が出てくる給水器があって、
そこまで行って水を飲んで帰ってくるというコースを歩きながら、
手短にそれぞれの出来事を報告した。

中学校進学で離れ、やり取りは手紙になった。
私が通った地元の中学校の体育祭にRは遊びに来て、
友達に囲まれていた。
ふだん手紙でたくさん話をしているのに、
会えたらただうれしいだけで言葉が出てこなかった。


悪い冗談だろうと思っているうちに終わってしまったお葬式のあとに、
Rのことばかり考えた数週間があって、
そのあとにRの誕生日が来た。
17歳になるはずだった。

お葬式では話せなかった。
信じることも認めることもできていなかったから、
ただ教会に行って、写真のRを見て、帰ってきただけだった。

やる気が出なくて部活を休んでいた帰り道に、
今日はRの誕生日だと気づいて、
今度こそ話がしたいと思った。
淡いオレンジ色の花束を買って、Rの家に電話をかけた。

 「もしもし」

聞こえてきたのは、杏子ちゃんの声だった。

言葉につまった。
お誕生日だからお花を持って行きたいんだけど迷惑ではないか、
ということをなんとか伝えたら、

 「うん、待ってます」

と、笑いを含んだ声で答えてくれた。

杏子ちゃんは、Rの通った私立の中学校への入学を控えていた。
制服の採寸が終わって今日届いたのだと見せてくれた。

着て見てもらったら? とお母さんが言ってくれて、
じゃあ待ってて……と言って
真新しいセーラー服を着て出てきた姿には、
杏子ちゃんを自慢の妹だとためらわずに言ったRの面影があった。

襟のデザインがかわいかったので、
うしろも見せて、と言ったら
くるっとまわって照れくさそうに笑った。

どれほどRに見てほしかっただろう、と思った。

私はたぶん杏子ちゃんに会いたかったのだ、と
ずっとあとになって分かった。
死んでしまった人は、残された人間をつなぐ。
それぞれの思い出を持ち寄って、その向こうに故人を思うことで、
悲しさに絡め取られることから抜け出せる。
『流れ星が消えないうちに』という本には
たぶん、そういうことが描かれている。

仲の良い女友達に対して私が
いつも抱いている感情の
原点はRだったと思う。

近づいてくるとうれしい一緒にいるとたのしい笑っていると照れくさい。

そういう気持ちの、
はじまりにいつもRがいる。


『流れ星が消えないうちに』 橋本紡 (新潮社)

うちの子がいちばん

2014年09月11日

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先日、新聞で、
「ぬいぐるみの図書館お泊り会」
という記事に出くわした。

地域の図書館が、
子どもたちに
本との新しい「出会い」を届けることを目的に、
子どもたちの一番のともだち(=ぬいぐるみ)を
一晩預かって「お泊り会」を開催し、
読み聞かせや、図書館内の散策、
さらには毛布にくるまって眠りにつく様子などを
写真におさめて、後日プレゼントする取り組みだ。

アメリカで始まり、
近年、日本でも実施している図書館が
少しずつ増えてきているという。

子どもたちが、自分のともだちが読んでいた本に
興味を持つようになるという解説に
なるほどなるほどと頷きながら、
その時私の頭の大部分を占めていたのは、
ほかでもない、自分の「ともだち」のことだった。

新聞記事を読んだあと、
ネットでヒットした「ぬいぐるみの図書館お泊り会」の
写真を眺めながら、
本棚に寄りかかったり、
寝っ転がって(*)お話を聞くわが友=29歳の灰色ぐまを
想像……

(*体型的に、お座りができないのであって、
  決してマナーがなっていないわけではありません)

取り組みの本旨とは
大きくかけ離れたところで
心を鷲掴みにされ、いそいそと記事を切り抜きながら、

ふと、
子どもたちの「おともだち」なら、
きっと絵本が似合う年齢だけれど、
うちの場合は……ということに思い至り、

おかげさまで
少し、冷静になることができました。

sora

一冊の周辺 ― 『ダンス・ダンス・ダンス』

2014年09月07日

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一人暮らしをしていたアパートから実家に戻って、
急いでアルバイトを探したことがあった。
大学2年生の時のことで、
見つけたのはホテルのルームメイクの仕事だった。

それはそれは体力仕事で、
一週間で放り出しそうになった。
体力仕事が苦手だなんて考えたこともなかった。
高校時代の蓄積で自信があったはずの体力は、
勝ち負けがかかっている場合にだけ発揮されるものだったのだと、
その時に知らされた。

消費エネルギーを最小限に抑えるために
広い室内の最低限のスペースを動きまわっていたら
スミのほうもきれいにね……と呆れ顔で注意された。
連泊する外国人のお客さんの部屋で、
見たこともないデザインの持ち物をジロジロ見るのが面白くて、
与えられた清掃時間をとっくに過ぎていたりした。
そういう余計なことをしなくてもそもそも仕事が遅く、
余裕がないので友達もできなかった。

それで通うのが面倒になって、
ある朝、当日になってバイトを休んだ。
月末のことで、
翌月のシフトを入れないままだった。

人手はいつも足りなかったから
こんなに使えないバイトでも、
いなくて困っているかもしれないな、と頭の隅で思った。

バイトがなくて、夏休みで、お金もないし、予定もなかった。
何よりもうしろめたさがいつもあとを付いてきた。

それで、家にこもって本を読んでばかりいた。

『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』
と続く村上春樹三部作を読んだのが、この時だった。
思考が内向的で、外側の世界のことを離れた距離から眺めるようなスタンスが、
その時の自分には心地がよかった。

読み終わってもまだ時間はあった。

三部作の続きの『ダンス・ダンス・ダンス』をさらに読んだ。
主人公が宿泊するホテルには、
ホテルの仕事が大好きで天職だと思って働いている女の子が出てきた。

フロントに立っていると君はホテルの精みたいに見える、
という主人公の台詞を読んで、
そろそろバイトしようかな……と思ったり
そこにいると妖精みたいに見える仕事をいつかしようと思ったりする程度には、
家にこもる日々に飽きていた。

おそるおそるバイト先に電話をかけて、
またシフトを入れてもらった。
体力がついたわけでもないし、
私の掃除する部屋が格段にきれいになったわけではなかったけれど、
もう逃げられないなとは思っていた。

そういうつもりでやっていたら、
少しずつ友達ができて、
友達に会いたいからという理由で出勤日を増やした。
夏が終わる頃には、
あれほど逃げ出したかったバイト先で、
従業員入り口が閉まる時間だからと追い出されるまで
バイト仲間やホテルのスタッフと集まって話をしていた。

この時の友達とは、それぞれがバイトをやめたり就職したり、
引っ越したり結婚したりしても
つきあいが続いて今に至る。
旅行にも行ったし、
4年連続で初日の出を一緒に見た。

集まって飲んでいる時に、みんなの顔を見ながら思う。
こんな仲間が一緒に働いていることも知らずに、
逃げ出したことがあったんだな、と。
このみんなと出会ったり一緒に働いたり話したりするよりも、
家にこもって本を読んでいるほうがずっと幸せな時期が
ほんの数週間だけあったんだなと
ときどき思い出している。


『ダンス・ダンス・ダンス』 村上春樹 (講談社文庫)

一冊の周辺 ― 『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』

2014年09月05日

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誰の書く文章が好きかとたまに聞いてもらえることがあって、
そういうときによく名前を言うのが
中島らもさんだった。

描かれる物語そのものも大好きだけれど、
文章が好きだというのは
巧みだったり軽妙だったりする技の部分ではなかった。

らもさんが、基礎的な意味での“正しい文章”を決してバカにせず、
基本に忠実で真面目で、だからこそとても美しい日本語で
奇想天外な世界を描き出すのが大好きだった。

だから亡くなったとき、途方に暮れた。
もう新しいものは読めないんだと思って悲しかった。

らもさんが亡くなった頃、
なにかのSNSの日記が書けるようになっているところに
らもさんの本のことを書いた。

その日記を読んで、知らない人がメールをくださった。

はじめまして、から始まるメールには
本が好きであること、私が日記に書いたらもさんの本を読んだこと、
とても良かったということが書かれていた。

個性の強い文章を書く人とばかり思い込んでいたけれど、
確かに丁寧でわかりやすい文章だ、という同意をくださっただけでなく
「句読点の打ち方が的確」という感想はもう
私よりはるかにマニアックで、うっかり笑ってしまった。

同じメールのなかで、村上春樹の短編集の「蜂蜜パイ」という話を
あなたはたぶん好きなんじゃないかと思うのでよかったら読んでみてください、
と書いてくれた。

すでに何度も読み返していた短編集の、
最初と最後の話がとくに好きで、
「蜂蜜パイ」はその最後のほうの話だった。

その人にはそれから、いろいろな本を教えていただいた。

らもさんの本が好きなら……という文脈から、
たくさんの作家を知り、読んでいなかった作品を読んだ。

“奇想天外(に見られがち)な人の書く真面目で硬質な文章”
という文脈から「辻仁成」が上がり、
“人の心の奥底を照らし出す上質なホラー”
という話題から「乙一」の作品を知り、
“作家でない職業を経たからこその作風”
という感想をもとに「横山秀夫」をぜひ、と教えられ、代わりに藤原伊織さんを薦めた。

面識もないままにそのうち連絡が途絶え
いまは連絡先もわからない。
ほんの短い期間の、本をただ薦め合うだけのやり取りは
豊かでぜいたくで忘れ難いものだった。

はじまりに、らもさんの本があった。

メールをいただくきっかけになった日記に引用したのは
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』の
若くして死を選んだお友達のことを書いた「浪々の身3」のなかの文章だった。


 めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが
 「生きていてよかった」と思う夜がある。
 一度でもそういうことがあれば、
 その思いだけがあればあとはゴミくずみたいな日々であっても生きていける。

 生きていてバカをやって、アル中になって、醜く老いていって、
 それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、
 そうやって生きていればよかったのに、と思う。


らもさんの死は、経緯としてはなんとなく
自分でそこへ近づいていってしまったものに見えなくもなかったけれど、
でも自死ではなかった。


『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』 中島らも (集英社文庫) 


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