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一冊の周辺 ― 『魔女の宅急便』

2014年05月26日

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八王子から、千葉の市川までタクシーに乗った。
新宿から東京行きの中央線の終電に乗ったあとに、
神田で目が覚めて「まだもうちょっと寝られる」と思ったのが最後の記憶で
気づいたら八王子駅にいた。

5万円あれば行けますか、と訊いたら
3万円で行けるよ(笑)、と言われて、それで乗った。

三つあるタクシーネタのひとつがこれで、もう8年くらい前のことになる。

ふたつめはつい先日のことで、東関道の湾岸市川IC付近で
乗っていたタクシーのタイヤがパンクした。
タイヤを付け替えている運転手さんの背中すれすれを
後続車が追い越していくので、
窓から「あの、うしろ、危ないです」とか声をかけながら
深夜の高速道路でちょっと途方に暮れていた。

いちばん印象に残っているのは、
一昨年くらいに新橋から自宅まで
光の速さで送り届けてくれた運転手さんだった。

深夜で道は空いていたし、
新橋から千葉方面は車だともともと近い。
それでもJR新橋駅から幕張ICで降りるまで16分というのは異例の速さで、
怖いほどのスピードを出していた印象もなくて、
ワープしたみたいな気分だった。
仕事が終わったあとで眠かったので
わー、乗ってよかったなぁ、と思っていた。

思ったそのタイミングで
運転手さんがものすごくうれしそうな笑顔で振り向いて、

「これでこそタクシーって感じですね!」

と言った。笑いをこらえるのがけっこう大変だった。

これでこそタクシーって感じですね。って。

私はたぶん、いままで乗せてもらったタクシーの運転手さんのなかで
この人がいちばん好きだったと思う。
単に面白かっただけだけれど、
深かったな、とも思っている。

自分の仕事を客観視できる人は、たぶん多くない。
その仕事が自分の職業である時点で、
そこに自分の努力とか力量とかを重ねて語ってしまうから、
仕事に対する外側からの視点をつい忘れてしまう。

だけどあの運転手さんは、
完全に利用者の視点でタクシーという乗り物を評価した。
むちゃくちゃかっこいいな、と思った。


どんな職業につきたいか、これから考えはじめる高校生を想定して
本を選ぶ仕事をやらせていただいたことがある。

その時に、真っ先に思いついたのが『魔女の宅急便』だった。

職業を考えるのも職業に就くのもどんどん難しくなっているけど
この仕事があったら素敵だな、と思うことから
始めることができれば、と思っている。
そこから始められれば、
たいていのことはあとからついてくるから、と思っていて、
その気持ちを『魔女の宅急便』につめこんだ。


『魔女の宅急便』 角野栄子 (福音館書店)

一冊の周辺 ― 『雪が降る』

2014年05月19日

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去年の年末まで、月に一度、都内の某仕事場に行く用があった。
10年くらい前からずっと参加している会に
出席するためだった。

20代半ばの頃にその会でプレゼンテーションを教わり、
開催地が大阪から東京に移ってからはマーケティングと広報を学んだ。

生徒としてただ教わる立場でいた会は、
すこしずつかたちを変え、主催者の
「病院で目標喪失症候群って言われてさ、朗読が効くんだって」
という言葉でいきなり朗読会になった。
会のメンバーの約1/2は経営者で、それぞれが次の代にバトンを渡しつつある時期だった

本は出席者が持ち回りで選んで、
みんなでたくさんの作品を読んだ。

『謹訳 源氏物語』を読んだ時に、
某社の社長が「左馬頭」の声色を似せて……
……何に似せているのかも分からないのに似せて読むのが
私のツボに入って、順番が来ても笑って読めなくて会を中断させたりした。

声に出して本を読むことに、誰も慣れていなかった。
職業柄、文章を読むことに慣れているので
噛まないということでいえば私がマシなほうだったけれど、
その、耳ざわりの決して良くないそれぞれの読み方には、
上手下手で計ることのできない魅力があった。

上手な朗読が、物語へと人を自然にいざなうものだとすれば、
彼らの朗読は、人の心をいきなり掴んで物語へと放り込んだ。
読み方に職業が見えた。
何をして生きてきたのかが聴き取れた。


順番がまわってきて、選んだのが、短編集『雪が降る』の表題作だった。

広告会社に勤めていた著者が書いた
業界と会社を舞台にしたひどく切なく透明感のある物語で、
それを、彼らの声で聴いてみたいと思った。

メールをひらくはじまりの場面。
取引先からのクレームにあざやかに対応する場面。
恋人の忘れ形見である少年と対面する場面。

どの声が描写するシーンにも、それぞれの生きてきた道が重なって見える気がした。

席順の偶然から、会の主催者であり恩師である人が
物語のクライマックスに当たった。

「そしてきょう、もし会えれば…」

雪の第三京浜で亡くなった恋人が、主人公に宛てた手紙のところだった。
物語の主人公は、どこかこの人に似ているとずっと思っていた。

本を選んだ意図は、伝わってしまっていたのだろうと思う。
バブルと不況をともに経験し、それぞれの分野で働き
会社を切り盛りしてきた経営者たちは
「実際はこんなかっこいいもんじゃなかったよ」と
揃っておなじことを言った。


『雪が降る』 藤原伊織 (講談社文庫)

一冊の周辺 ― 『キッチン』

2014年05月14日

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Kくん元気にしてる? と
母がたまに聞いてくる。

Kくんというのは、
幼稚園から中学校までほぼ同じクラスにいたKのことで、
母が言ってくる頻度より少しだけ多く、
私もときどき、K元気にしてるかな、と思う。

ずっと同じ地域で暮らしているので、幼なじみはKだけではない。
だから、母がKのことをとくに聞いてくるのは、
不思議といえば不思議だった。

だって可愛かったじゃない。

なんでKだけそんな憶えてるの? というようなことを
聞いてみた時、母はそう言った。
人に好かれる人だな、という印象は確かにずっとあった。

十代後半になってからも、
年末年始の飲み会や冠婚葬祭でKに会える機会は多かった。

おかーさんが、元気かって。
と最初に伝えた時、ちょっとびっくりした顔をして、
次に会った時に「おばさん元気?」と聞かれた。

小さい頃から友達で、ずっと同じクラスにいたというだけのことで、
Kのことをそれほど知っていたわけではない。

おまけにKは見た目が怖かった。

背が高くて、大学生の頃は茶色い髪が目元を隠していて
歩くとアクセサリーがジャラジャラ音をたてた。
無駄に派手で、ついでにいちいち面倒くさそうにしゃべるので、
話しかけるのにいつもちょっと勇気が要った。

十代の終わりの頃、Kのお父さんが亡くなった。

友達とふたりで弔問したのは斎場が閉まるぎりぎりの時間で、
弔問客はもう私たちしかいなかった。
すぐにKを見つけたけれど、互いに曖昧に目礼しただけで
かける言葉は上手く見つからなかった。
急なことではなかったし、いつも明るいお母さんの声が、そこまで聞こえてきていた。
それでも早い別れであることには変わらない。

ご焼香に向かう私たちに、ヒマになっていたらしいKは、
なんとなくついてきた。互いに黙ったままだった。

遺影に頭を下げたタイミングで、
いきなりKが言った。


ごめん、その線香、火、点きにくいんだよ。


…今それめちゃくちゃどうでもいい。
お線香に火が点きやすかろうが点きにくかろうがどうでもいい。

ただ、やっと言うことが見つかって安心したみたいな声の
その言葉を聞いた瞬間、Kが好かれるわけがなんとなく分かった。
や、大丈夫、ちゃんと点くよ。
とちゃんと答えることができて私も安心した。


吉本ばななの小説の登場人物はいつも
えっ、今? というタイミングでどうでもいいことを言う。
『キッチン』の主人公の「みかげ」やおかまの「えり子さん」はその常連で、
『N・P』にも『哀しい予感』にもそんなシーンがたくさんある。

そのタイミングとどうでもよさはとてもリアルで、
人間という生きものを、
リアルに底抜けに愛しく思わせてくれる。


『キッチン』 吉本ばなな (角川文庫)


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