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一冊の周辺 ― 『こころ』

2014年03月24日

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夏目漱石の『こころ』を読んだのは16歳の時だった。

夏休みに読む本として指定されていたので
高校のあった駅の近くの本屋さんで文庫本を買って、
夏休みのあいだずっと読んでいた。

ずっとというか、
部活をやっているか遊んでいるかで家にいなかったし、
急いで読む必要もなく、
物語の続きよりも気になることは日常にたくさんあって、
一冊を読むのに単純に時間がかかった。

だから、夢中になって読んだ、というのとはすこし違う。

ただ、読み始めてから読み終わるまで、
本を肌身離さず持ち歩いた。

学校指定のバッグ、部活で使っていた
水色のボストンバッグの横についていた小さなポケット、
教室の机、部室に置いていた段ボール箱、
お弁当を食べるのに勝手に使っていた離れの部屋、
家のベッドの枕元。小さな文庫本は私の行動範囲のすべてにきちんとついてきた。
だから時間ができると本の続きを読んだ。

手を伸ばせば届く場所にいつもあったせいで、
続きを読むことをどこかで意識していた。
何をしていても「私」や「K」の存在がどこかにあったし、
目のまえで展開される自分の日常を通して
「私」や「K」のことをうっすら考えた。

だらだらと時間をかけていただけで、
「K」の苦しい恋も「私」の後悔も理解していなかったような気がするし
あらすじをきちんと追えていたかどうかすら怪しいものだけれど、
おおげさに言えばあの夏を
『こころ』と一緒に過ごした、という感触がある。


大人になると「ななめに読んだ」「内容はわかった」という本が増えてくる。
読んでおいたほうがいい、といわれる本ほどそういうことがありがちで、
半ば義務感で買って義務感で読むので、
果たして「読んだ」といっていいのか曖昧な本は多い。

物語の内容よりも外側の世界によほど夢中だったけれど、
夏目漱石の『こころ』を、少なくともななめにではなく読んだ。

読んだ? と訊かれて、
読んだ読んだ、とあれほど堂々と答えられる本は少ない。


『こころ』 夏目漱石 (新潮文庫)

ヒーローたちの上陸

2014年03月04日

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いま、
洋楽ギター好きにはたまらない数カ月が
進行中である。

エリック・クラプトン
ジェフ・ベック
ボブ・ディラン
ジョニー・ウィンター
デレク・トラックス
ジョン・メイヤー

そうそうたる弾き手たちの
ワールドツアーが、
「2014年上半期」に折り重なるように展開され、
ここ日本でも、その幸運に巡り会えるというわけだ。

私の“ツアー”は、
渋谷公会堂のTedeschi Trucks Bandで幕を明けた。

ブルースシンガーの妻スーザン・テデスキが
リード・ボーカルをつとめ、
スライド・ギター弾きのデレク・トラックスが
リード・ギター、
その他ドラム隊、ベース、キーボード、
ホーンセクション、コーラスからなる
大所帯バンドである。

ライブ中マイクを通して一言も声を発さないデレクと、
歌声が極めてハスキーでスモーキー、
それでいてMCの声は意外とチャーミングなスーザンを
コアに生まれる演奏は、
リズム良し、音色良し、メロディー良し、歌心良し。

クラプトンのサポートギタリストとして伴われた
ライブツアーのステージで観て以来のデレクファンである。
あれは、何年前になるのだろう。
何かとてつもない光りをまとったギターソロを奏でる、無口な人
という第一印象は、未だ覆されていない。

ツアー2戦目は、デレクとの出会いをくれたエリック・クラプトン
その人である。
あなたが初めて衝撃を受けたエレキギターのフレーズは?
あなたが初めて自分で買った洋楽のCDは?

これから先、万が一そんなアンケートに回答する機会があるとしたら、
答えはどちらも「クラプトンの…」ということになる。

「これが最後の──」

もう何年も前から、ワールドツアーが決まる度、そうささやかれてきた。
しかしこの奇跡のような2014年が、どうやら本当の「最後」になるらしい。

“好き”が高じてか、クラプトンとそっくりな髪型の父と二人、
日本武道館にて。

ピックを構える右手の甲のシワには、
「幾年月」という感慨を禁じ得なかった。
けれど、弦を押さえる中指のきれいなシルエットは
全く変わらない。
そして、ブラッキーが繰り出すギターソロが、
場内の空気をひとつに束ね、
宇宙にまで届きそうな橋を架けていくときの高まりも。
(わたしはいま、素面です…念のため)


ボブ・ディランとジョニー・ウィンターは、
熱心なファンではないから参加見送りだ。

最近ファッションが妙な具合
(見る人が見れば、ナイス!になるのかも)なジョン・メイヤーの
来日時の出で立ちが楽しみである。

sora


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