2013年03月29日

──誰かの「ために」ではなく、誰かを「思って」
およそひと月前の日経。
ヤンキースで2年目を迎えるイチローのインタビュー記事には、
こんな見出しが付けられていた。
インタビューの冒頭で
イチローは、
入団1年目の3ヶ月間を振り返りながら、
何かの「ために」、誰かの「ために」
何事かをなそうとすることの限界と、
何かを、あるいは、誰かを「思って」
臨む場合に必ずそこに存在している愛情について
語っていた。
夜の事務所で、
そのインタビューを読み、普段はめったにしないことだが、
新聞紙面をコピーした。
せっかくコピーしたその紙は、
自宅の机のうえにひょいっと放ったままだが、
それからしばしば「誰かを『思って』」を唱えてみている。
──喜んでくれるかな。
──おもしろいって言ってくれるかな。
いま取り組んでいる仕事で
イラストを描いてくださっている作家さんのブログの中に
見つけた言葉だ。
今春(ついに、やっと)刊行になる本のページには、
彼女がこの本を待つ人たちを思って描いた
それはそれはかわいいキャラクターたちが、
それはもう、これでもか、というほど、登場する。
たくさんの人に、届くといいな。
sora