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パズル

2010年07月29日

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2002年のサッカーのW杯が終わったころ、
日本代表のある選手の名前を度忘れして、友達に電話をかけました。

「代表選手で、MFで、ライン際で粘…」「明神?」「早っ」

。。。どうしてこんなどうでもいい話を思い出したかというと、
最近こういうやり取りが減ったなと思います。

確かこのとき、本当の目的は
その相手と話をすることだったワケなのですが(笑)、
こういうことができなくなった。

わかんないことを聞くフリして、連絡が取りたい、メール送りたい。
ちょっと教えてほしいことあって…って、言い訳にしたい。

携帯が普及してから、脚本家がラブストーリーを
描きにくくなった(待ち伏せとか、雨の電話ボックスとか)
と言っていたことと同様に、
なんでも調べればわかっちゃうことで、
便利さとスピードの対岸にある余分なやり取りが減った。

……と同時に、“自問自答”も減ってるんじゃないかなと思ったのです。

それでここ何日か、調べながら読むのを止めてみました。
資料や本を読んでいるときに、PCも携帯も触らない。
わからないことがわからないまま留まると「想像」するわけです。
自分のなかで知識と想像力を使って、
話の内容と人物のパズルを正しいところにはめようとする。
(もとははまってるわけだから)

まぁ、間違えるところは間違えちゃうんですが、
そうすることでわかってくる全体図って、
すぐ調べて組み立てたそれよりずっと広い。
あとから入る情報が置かれる場所がちゃんとある、みたいな。

これってべつに新しいことじゃなくて、
PCや携帯がない頃に、いつもやっていたことです。
“手持ちの知識とやり取りする”とか“自分の想像力に委ねてみる”
みたいなこと、やらなくなってるな…って気がします。

Asa.s

受信

2010年07月27日

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好きな仕事とか向いてる仕事っていうのは、
一般的に、自分発信のものをいいます。

相手の満足も、社会の前進も、
自分から“発信”して、何かを生み出すことが好き。
そこに喜びも誇りも痛みもあるっていうふうに。

一方で、“受信”という考えかたがあります。

たとえば音楽を聴いて、
個人的な好きとか感動とか以上の
評価は私にはできないし、することもないです。
そこにかけられた努力と時間の量も、
込められた心のサイズも、感じる以外はできない。

だけど、原稿なら、わからないのはマズい。
感覚ではなく、だから責任が伴うものとして
“わかる”って言えなきゃいけないし、
社内で書いた原稿や、オリエン資料や、
クライアントが入れた修正に
気持ちが込められているかそうでもないのかを
正しく“受信”できることが、
この仕事が好きで向いてるってことなんだと思う。

書いた人がどれほど楽しんで書いたか、
伝えることにわくわくしていたか。

それをキャッチできたことにほっとしたり、
あるいは誰かが書いたとてもいい原稿を、
いいってわかってよかった。。。と胸をなで下ろした回数は、
いいものを書けて喜んだ回数より多いもしれません。

キャッチできる力の有無で、
相手のモチベーションを上げることも折ることもある。

だからこそそれは、発信できる力の有無以上に大切で、

「自分は何も作れないけど、いいものはわかる」っていう白洲正子さんの
“目利き”の覚悟は、“作る人”の覚悟より大きかったかもしれない。

なんてことを、ふと思いました。

Asa.s

東京湾景

2010年07月21日

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 アクションを起こしているのは個人です。
 考えるのも、動くのも、トクするのも損をするのも個人。
 そういう意味で、“デジタル”とは“自由”のことをいいます。

…であれば、波に巻かれるのも、波の上で遊ぶのも自由ってコト。
デジタルパブリッシングフェア覚え書き。

Asa.s

天府の国

2010年07月13日

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四川料理がいま、東京で面白い。

日本で「四川料理」といえば、なんと言っても陳建民さんであり、
いまも脈々とお弟子さんたちがその精神を伝えている。
もちろん、これは日本における“四川料理文化”の一つと言っていいだろう。

でも、良し悪しに関係なく、
日本に伝わり、愛される過程で、
「日本人の好みに近づけながら」という配慮が入っていた。

ところが、ここ数年、日本人の舌に迎合しない本場の四川料理が、
東京で味わえるようになってきた。

私自身、とくに衝撃を覚えた店は、「趙楊」と「飄香」の2つである。
前者は本場・成都の名店で料理長を務めた四川人シェフ
後者は四川で1年半料理修業を積んだ日本人シェフ。
それだけに、花椒や豆板醤をはじめとする調味料の質、
それらの組み合わせに徹底してこだわった奥深い料理が堪能できた。

そして、さらなる驚きだったのは、先日みんなで行った「龍藤」である。
ここは、あくまでも私の予想だが、
「四川発⇒北京経由」で、東京にやってきたのではないだろうか。

もともと私の四川料理の原点は、北京の「四川飯店」にある。
いまから25年前に初めて訪れ、以後、北京へ行くたびに寄っている。
周恩来じきじきの提案で設立された伝統あるレストランで、
あの小平が愛してやまなかったことで知られる。

いまでこそ高級会員制クラブ「中国北京会」のレストランとなっているが、
かつては平屋建築で、一般中国人用とVIP向けの二棟に分けられ、
一般用では、調理場の前にある大きな黒板に書かれた料理をみて注文する
非常に大衆的なレストランであった。

後(2002年)に、本場・成都の食文化を現地取材したが、
すべてにおいて「マイルド」が主流となっており、
拍子抜けした経験がある。
(おそらく若者向けに迎合していった結果であろう)

話は横道にそれたが、何を言いたいかというと、
少なくとも私の経験では、
本物の四川料理を味わえる地は、実は北京なのではないか、ということである。

北京にはさまざまな地方から人々がやってくる。
その人たちの郷里の料理は、北京で再現され、
流行に左右されることなく、いまも受け継がれている。

そして、さらに好ましいことは、
その「本質」を失うことなく、
良い意味での「洗練さ」が加えられている、ということである。

もちろん、四川料理が下世話なものだとは思っていないが、
中華料理の中では圧倒的にパワフルな面が強い。
そこに、ちょうど良い程度の「上品さ」と「洗練さ」が加わった。

──それが、「龍藤」の料理だったのである。

この店、まだ認知度が低いせいか、いつ行っても空いている。
あくまでも「予約が取れないほど」にならない程度に、
この店の、そして本物の四川料理の実力を、
多くの日本人に知ってもらいたいものである。

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Taka

ハンド

2010年07月09日

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最近、日報にサッカーネタがやたら多いが、
W杯期間だということでご容赦を。

ウルグアイがガーナをPK戦で破って4強に進出したが、
一躍ヒーローとなったのが、
相手ゴールを両手で止めて防いだFWスアレスである。
延長戦もロスタイムに入り、
一発退場となっても人数が減るリスクはない。
それならば、レッドカードになっても、
負けない可能性のあるPKを選択した、というわけである。

私はその判断自体に、とやかく言うつもりはない。
ただ、このことに対するマスコミの反応には、少々驚いた。

「ウルグアイを救った“神の手”セーブ」

この見出しに代表されるように、あきらかにヒーロー扱いだったためだ。
「よくぞやった! 彼の機転がなければ確実に負けていた」
というわけである。

──これって、変じゃない?
まあ、ウルグアイ国内のマスメディアであれば、百歩譲ってよしとしよう。
でも、中立的な立場からみれば、かなりおかしい。

比較するのが適切じゃあないとは思うけど、
なぜか私は野球の江川投手の「空白の1日」を思い出した。
ルール上は確かに問題とはならないかもしれない。
でも、ルール上許されれば、何をやってもいいのか、
と問われれば、そうではない。
ましてや、これはスポーツの世界での話である。

江川投手があれだけ叩かれて、
今回はヒーロー扱いというのには納得いかない。
前者が一個人の私欲の問題で、
後者は勝利のための究極の判断だったから、
本質が違うとでもいうのだろうか。

実は小学5年生の頃、放課後、
クラスメートの大半が残ってよくサッカーの試合で遊んだ。
その際、クラスで1、2を争う秀才君が、
ウルグアイのスアレスと同じことをやった。
その時の反応は複雑なものであった。
「ああ、さすがに頭がいいなあ、すごい判断力だなあ」と感心する一方で、
「それじゃあ、サッカーの面白さがなくなるな」
と感じた者も少なくなかった。

ひと言で言えば、
「あったまいいなあ、でも、きったねーなっ」
ってとこである。

当時の小学生が抱いたこの感情を、
いまの大人たちには求められないのだろうか。
それは、当事者である選手や監督はもとより、
応援しているサポーターや国民も含めての話である。

とくに、今回のケースは、
延長戦のロスタイム間際の出来事であり、
次の試合に出場停止になる以外、リスクはない。
であれば、同じシチュエーションであれば、
何度も同じシーンが繰り返される可能性もある。

──このことを憂い、問題提起するマスメディア、
あるいはスポーツジャーナリストが、
どこかにいたであろうことを、願ってやまない。

Taka

好青年

2010年07月02日

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ずっと、好青年は苦手でした。
いや、正直に言うと嫌いでした。

なぜかといえば、カンタン
ワタシが好青年ではなかったからです。
小谷野敦さんや中島みゆきさんのお言葉を借りれば、
「ちくしょう、いい思いしやがって」で
「いいことしてやがんのにな、ビールはまだかぁ!」です。
セクハラじゃないけど、同じ事やっても
受け止め方が違うというのは
どーゆーことだ、理由を言ってみろお、
みたいなルサンチマン。

天使に出会ってからは、
こういうの、かなり薄まりました。
平気で「知らなーい」と言えるようになったのも、
ほぼ同時期。
まあ、正直ベースでも何とかやれる感じがつかめた
という感じでしょうか。

金曜日、「ホスピタリティ本」の打ち上げで
某社の好青年に相対し、
さらに変化している自分を発見。
いいじゃないの、不器用で。素直で飾らないで。
言う事は言うけんど、
世間舐めてる感じがしないし。
ウチの娘が連れてくるなら、
こういうヤツがいいねえ。
まあ、浮気される危険はなきにしもあらずだが、
なんか納得できる浮気(本気?)をしそうだし、
それはそれで。

父親目線か、これ。
ライバル視しなくていんだろーか、俺は。
ローマンティックが止まらない、じゃないと
いけないんじゃないか、男として、物書きとしては。
などなど、帰途、心千々に乱れました。

好青年がセレクトしてくれたお店も、
好青年的お好み焼きというか。
一昔前なら、シャンパン? ワイン?
お好み焼きのくせにカッコつけんじゃねーよ、
ビールはまだかぁ、でしたでしょうが、
美味しいし、感じもいいんだ、これが。
店内禁煙なんで、入口の待ち合いんとこで一服していたら、
お店の人が「すみませんね、前は吸えたんですけど」って。

いいヤツには敵わねえなあ。

moon hill


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