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年末

2009年12月29日

sa-ta

tsuki&tobi

クリスマスが終わって年末にはまだ早い、
中途半端なこの時期が毎年なんとなく好きです。

birth

とびさん26歳オメデト!

daikichi

忘年会(Part3)で大好きな大吉さんの黄ニラも食べられたし…

とりあえず年明けのコンペ、勝ちたいです。

Asa.s


考えたこと~スタイリスト

2009年12月22日

mohi

原宿にあるヘアサロンのスタイリストさんが、
新人がぽっちゃり系であることが許せず、
痩せるように指導しているという話を友人から聞きました。

自分がスタイルいいからって、酷な……
少し前なら、スタイリストさんに対して
そう思ったかもしれませんが、
「職業本」的な考えかたからすると、
残念ながら、スタイリストさんの言うことがとても良く分かる。

町の美容院ならいい。
でも「原宿のサロン」で
美を提供する仕事をする人間が、
ぽっちゃりで平気でいる。
上司から注意されているのに、お菓子を食べまくる──
それが許せないと言います。

スタイリストさんは、太った人でも、太った美容師でもなく、
「原宿のサロンで働くぽっちゃり系美容師」
が許せないと言っているだけなのでした。

ブランドイメージもありますし、
「かわいい子が入ったね」と言われるのが
サロンのステータスでもあるといいます。
モデルとは違ってそこが本業ではありませんが、
確かにそういう部分でサロンに
+αの価値が与えられるように思う。

その価値を認められないのであれば、
町の美容院や、イメージにうるさくないサロンを選べばいいだけの話。
そういうことを大切にするサロンで、
そういう雰囲気の中で働きたいのなら、
まず自分が、
サロンが大切にしていることを大切にしなければならない。

美容師に限らず、ひとつの企業のために働く第一歩は、
大切なものを一緒に大切にする姿勢だなぁ、と思いました。

そのひとつが細身だなんて、
ファッションの町で働く美容師さんたちはなかなか大変です。
でも、ちょっとお菓子をガマンしてスリムでいることで、
本当にそこが“自分に合っている”職場なら、
自分も上司もハッピーになるのかもしれません。
なぜなら本質的に、いいスタイルを保ち、いつもオシャレして、
かわいい先輩に教えてもらい、センスの良いお客さんと接する──
そうしたことを心地よく思うはずである人が、
こういうサロンのスタイリストになるべきだからです。

反対に、「町の美容院」のなかには、
逆に気負いしすぎていないほうがいい、
というお客さんが多いところも絶対にある。

同じ職業でも、企業によって大切にすることは様々です。
向く、向かないも、職種の問題だけではなく、企業次第だったりもする。

自分自身、企業が大切にすることを見極めて
きちんと職場を選ぶことができれば、
みんながハッピーになるのかもしれません。

miotobi

日報より/視点

2009年12月15日

社内週一配信の「日報」より。

starbucks

誰も声高に「必要だ」と言わない仕事というのがあります。

こういうものが欲しいんです、
というオリエンのない仕事。

つまり、実際に必要であっても
クライアントが必要性を強く感じていないケースです。

例に挙げているのは、昨日打ち合わせをした某案件ですが、
この種類の仕事からは、
そもそもなんでやってるのかな? を問われます。

催促の嵐のなかで原稿を書くのはきついし、
スケジュールぎりぎりの入稿もきつい。
しかもすんなり通らなくて注文がつくのは、
もちろんラクじゃない。

そういう状況のなかで書かないと伸びない、
って前に書いたのは、いまでもそう思っています。

でもやっぱり、
原稿の出来であったりスケジュールであったりを、
管理して、催促して、注文をつけてくる
クライアントやディレクターは有難い存在で、
誤解を恐れずに言えば、
いることでラクな部分はたくさんある。

オリエンのない仕事に、
他者が設けた締め切りはないし、
完成度の判断基準は自分と自分の会社にしかありません。

であれば、その原稿なり制作物が実際に動く場所=最終地点を
いつも自分が見ていなければいけない。

プロセスがどれだけねじれて (←愚痴)
納得のいかないやり取りがあっても、
このケースは途中で文句が言えません。

「だって、必要だと思うからやってるんでしょ?」

すべての答えはそこにあるし、そこにしかない。

本当は、どんな仕事でも、
この視点だけで動かなくちゃいけないんですね。

が、どこかで、手離れの場所を近くに探してしまう。
クライアントが出すべきものを出してこなければ、
こっちの手を止めてもいいと思ってしまう。

だけど私たちは、
スケジュールっていう約束を守るために仕事をしているんではないし、
原稿に見合った対価をもらうためだけに書いているんでもないわけです。

社会への浸透、価値観共有、学生募集、求人、IR…
それすらゴールじゃなくて、
その結果、社会がどこかでいいほうに回転していく。

それを祈るからやっているわけで、

本来あたりまえのそのことを、
忘れることはなくても、
忘れたフリをする自分はいます。

だから、戒めも含めて。

Asa.s

羊をめぐる冒険

2009年12月11日

sheep

向かいの席から見ると、ああ羊ですねっていう感じで、
足短くてかわいいねみたいなことも感じるのかもしれないのですが、

hitsuzy

私のアングルはさっきからこうです。。。

冬の名古屋にて。

Asa.s

おもいやりに分はあるのか

2009年12月07日

np

日経に載っていた鳩山政権についてのコラムに、
「分不相応の社会福祉」という単語が出てきて
少しだけ違和感を覚えました。

記事の趣旨は、
税収不足かつ成長も期待できない状況で、
社会保障や子ども手当てを増やすことはできない、
収入にあった社会福祉を考えなければ、

という至極まっとうな主張でしたが、
この単語の組み合わせはひっかかりました。

(執筆者も変だと思ったのか、
 「 」か“ ”がついていた気がします)

女性の方には非常に失礼ですが、
奥さんも含めて“持ち物”や“望み”には
“分不相応”がしっくりきますが、
社会福祉は何か座りが悪い。

たぶん、これは義務とか努力に類するものだから
なんじゃないかと考えました。
分不相応の労働とか、分不相応の勉強などは
やはりあまり聞きません。

お年寄りや病人など社会的弱者は守るべき、
もしくは守らなくっちゃなあ、というのが社会福祉で、
そこに「モノ」的(≒お金に換算できる、比較する)
発想が入ると変な感じがするという。

日本“経済”新聞なので、
あんまりお金に換算しないものも経済発想で考える
というのはもちろんアリですし、有効でもあります。

実際、医療・福祉にもお金はかかるわけで、
「ない袖はふれない」のも厳然たる現実です。

それでも「分不相応の社会福祉」の座りの悪さは、

社会福祉という単語の言霊が
「まーそーなんだけどさ、ちょっとね」
という抵抗のオーラを発している感じがしたのでした。

moon hill


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