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祝辞

2009年09月28日

送別会と、20周年祝い。

momo

入社してから初めての設立記念日です。

そして今年は、設立20周年だったということで、
本当に、おめでとうございます。

こんなふうに言うと、
まるで何かの「関係者祝辞」のようですが、
20年前、自分がまだ平仮名をマスターして間もない頃から
この会社から原稿が生まれていたんだなぁと考えれば、
まず出てくる言葉は、やはり、
「おめでとうございます」なのです。

20年の時をかけて、
アピックスをアピックスたるものに育て上げてきた先輩方、
「ありがとうございます」。

そして、社内外の皆々さま、
「これからも、どうぞよろしくお願い申し上げます」。

“二十歳”──まだまだこれから、花盛り。
その栄養となるべく、はりきります。

miotobi

やがて心うきうき

2009年09月19日

amemiya

アピックスにとって、「創立記念日」と呼べる日はいくつかある。
・独立して株式会社とした日(1996年3月1日)
・現住所に移転して名実ともに新生・アピックスとしてスタートした日(1997年12月1日)
──これらが、その候補日と言える。

登記簿上の会社成立年月日は1989年9月19日であるが、
それほど大きな意味を持たない。
その日から約6年半は、実態を伴わないペーパーカンパニーだったからである。

でも、「20周年」となると、少し話は違ってくる。
社史や年史を手掛けていることもあるが、「周年」という言葉には反応する。
ちょっとだけお祝いしたい気分になる。

20年前の夜中の会議、
「電話帳の初めに出てくる名前を」と、「ア」で始まる会社名に。

Attractive(魅力的)
Progressive(先進的)
Intellectual(知的)
X(無限なる存在)──「アピックス」と決まった。

20年前に想いを馳せて、乾杯!
そして、ありがとう。

Taka

日報より/軸

2009年09月18日

社内週1配信の「日報」より。

starbucks

「軸」って言葉が流行って早くも消えかけていますが、
表現はともかく、原稿には必須のものです。

ひとつの軸のもとにいろんな要素を寄せていく。
いるものといらないものを、その都度選ぶのではなくて、
ひとつの価値基準にそって拾ったり捨てたり…を判断していく、
というイメージです。

だから、何が軸であるか(≠何を軸にするか。軸は対象のなかにあるから)
を時間をかけて見つけることもすごく大事なんだけど、

自分が軸をもって生きているのであれば、
そのやりかたを原稿でもやる、
という感じなんだと思います。

自分が生きてるように書くってことじゃなくて、
物事に臨む方法として、
すごく近いんじゃないかということです。

こう質問されたらなんて答えるか。
誰かに相談されたらどう応じるか。
考え方を聞かれたらどう話すか。

自分のなかに自分のものさしがあって、
あらゆることへの「価値基準」と「判断基準」があるひとって、
いちいち答えることが違ったりしないでしょ?

人の意見を受け売りでしゃべったりしないし、
あっちかな、こっちかなって右往左往しない。

乱暴な言いかただけど、

意見を受け売りすることは、資料のコピペだし、
右往左往することは、どの情報が大事かを選んでないってこと。

どう言ったらいいのかな…
誰でも、原稿を書くことよりは、
生きることのほうが経験してるし、
自分のやりかたってできてると思う。

「そういうの、こう考えることにしてる」
っていうやつ。

自分のものさしをもっているひとは、
あらゆることにそれをあてて、計って、臨む。

テーマや対象がなんでも、
しっかりした原稿ってそれによく似てる。

と、思っています。

Asa.s

ルーツが、キラリ

2009年09月15日

tomato

社史の原稿を書くというのは、企業のルーツを探るお仕事でもあります。
企業がこれまで歩んできた道のりを振り返り、
その出発点まで遡る。
そこには必ず、創業者の熱い思いが眠っています。

私が最も印象に残っているのは、昭和電工㈱の創業者である森矗昶氏です。
1900年代前半、「不撓不屈」の精神のもと、化学肥料やアルミニウム事業において
多大な功績を残したこの偉大な人物は、「日本の発展」を常に願っていました。

自分の事業が成功すれば、日本の未来が広がる。
本気でそう思い、行動していたのです。

漁師の家で生まれ育った森矗昶が、
はじめからそのような思いを抱いていたのかは、
正直わかりません。
けれども、時が経ち、実業家として成長するとともに、
いつしか日本の将来を思うようになったことは事実です。

企業のルーツは、創業者がその一生をかけて作り上げていきます。
それはつまり、過去の出来事だけがその企業のルーツになるわけではなく、
現在の行動を積み重ねた結果、新たに生まれるということです。
今、この瞬間の行動が、誰にとってもルーツに成り得る。
そう思うと、
どんな時でもまっすぐ前を向きながら、歩んでいける気がします。

koji

事実の向こう側

2009年09月11日

hiMaWari

これまで書かせていただいた原稿を通じて、
たくさんのことを学べたように思います。
なかでも、“事実を歪めない”という姿勢について考えることが多いです。

企業や学校関連の原稿を書くことは、
そのまま、クライアントの気持ちを代弁するようなものです。
でもそれは、ありのままの事実を述べることでも、
クライアントの要望に沿ったことだけを書くのとも少し違う。

そうではなくて、
目の前の情報から、一歩先を想像する、
相手が言葉にできない部分にまで、しっかりと思考を巡らす。
そこまで出来てはじめて、“事実”を伝えることができるのだと思います。

“事実”というのは、必ずしも目に見えるわけではなくて、
一見分かりづらい、装飾された物質の中の一部分であったりします。
それを見つけてきて、読者にもわかるように言語化する。
クライアントには、自身の営みを振り返るきっかけにしてもらう。

自分の原稿を読んでいて、「?」が浮かんだら、立ち止まってよく考えます。
足りない情報を補って、より明解なものにした後は、
思い切って対象の懐に飛び込んでみる。
そして、相手の存在を確認する。

そんな、一見当たり前のことの積み重ねが、
読んだ人の気持ちに届く原稿をつくるのだと思います。

koji

言葉と成長と

2009年09月08日

hanabi

企業についていろいろな情報に当たっていると、
様々な時代のリーダーの方々の、多様な言葉に出会う。
企業のありかた、その仕事の真髄についての意見・思想から、
日常生活で大切にしていることや、趣味、ものの好き・嫌いまで、
幅広いお話に触れることができる。

組織のトップに立つ方々の言葉だけあって、
どんな質問に対する答えにも信念や哲学がにじみ出ていたりする。
社会や未来を想う、広い視野が前提にあったりする。

その1つひとつの言葉の意味を、
短いけれど、自分の今までの人生と重ね合わせながら考える。
その場でそれを聞いた人の気持ちになってみたりする。
「なるほど」と思ったら実践してみたりもする。

こうして頭、心、そして体をつかって、
自分自身も、いちいち本気で納得していけたらいい。
多くの言葉を、自らの経験に換えていけたらいい。
それらを、文章をとおして世の中に還元できたらもっといい。

たくさんの名台詞と出会える機会を毎日もてる自分の境遇に、
感謝や幸せを感じたり、非力ながらも使命感を抱いたりしている、
入社後丸9カ月。

miotobi

損得の彼方へ

2009年09月04日

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(日本クラウン)

昨日提出した原稿は、
渋沢栄一が1909年にメインの第一銀行以外の
仕事を退くあたりで終わります。

古稀(70歳)を迎え、500以上の会社設立に関わった“日本資本主義の父”も
「さすがに疲れたのかな」と思いました。
ところが、最近の産経新聞の記事で、
渋沢さん、もろもろの仕事を退職した2カ月後に、
関係が悪化し始めていた米国との友好促進を目指す
渡米実業団の団長として訪米したことを知りました。

もちろん飛行機なんぞはありませんから、
約半月の船旅をして米国到着、
3カ月で約60都市を回り、また半月の船旅で帰ってくるという。
90日で60都市って、そんなツアー、今時応募者があるとも思えません。
実際、最初は団長を辞退したそうですが
外相から懇請されて引き受けたという。
91歳まで生きていますから、体もお丈夫だったんでしょうが、
何でしょう、この使命感。

と、驚いていると、この年史の会社のかつての社長さんが
若い時、白州次郎に
「君、そのうち社長になるんだろう。
偉くなったら“役損”を考えなくちゃだめだよ」
と言われたとかいう話も。
「役得」じゃなくて「役損」というのがこれまたスゴい。

一昨日帰宅した際、カミさんから、
娘が合宿の手配やら確認やらで、ストレスフルであると聞きました。
旅館の対応も、相手は高校生と侮ったのか、ぞんざいらしく。
娘には「でも、そりゃなかなかできない経験だよ、夏休みでいちばんの
勉強かもな」と話しましたが、納得できない模様。
「自分ヲ勘定二入レズニ」はやっぱり難しい。

ま、父親が父親なんで、強いこたぁ言えませんが、
「役損」、何とか伝えていきたいもんだなあ、と思ったことです。

「損すれば 得する人がきっといる」 (マコ蔵心の一句)

moon hill


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