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誰かへ

2009年08月24日

hozuki

出版企画がとおった。

それは先週夏休みをいただいていた最中のことで、
日曜日に家で岡田さんからのメールを見て知り、
「おーー!!」と言いながら拍手しました。

そして、入社したて、
本当に1、2週間しか経っていなかった頃、
初めて一緒に帰った日に、鈴木さんが
電車のなかで言っていたことを思い出していました。

私たちが書く文章は、
特定の個人に対するものではないことが多い。
だけど読んでもらいたい相手、「読者対象」がいて、
それがどこの誰かはわからなくても、
その人たちのために、その人たちのことを思って書いている。
そういう点では、大切な人に書く手紙とも共通している。

──私が、手紙を書くのが激しく好きだと言うなかで、
「大好きな相手に、文章をとおして何かを伝えられるのは楽しい」
らしきことを熱弁していた時の、
鈴木さんの言葉。
ずっと、胸に残っています。

この企画について、本気で考えたり調べたり取材するといった
すばらしいチャンスをいただいていから、私はいつもいつも、
今どこにいるかわからないけれど、これを読んだら喜ぶだろうな!
という“誰か”を想定しつつ、そのヒトにたっぷり愛情を注いできました。
鈴木さんが言っていたことを実感しながら。

そういう姿勢で取り組めるように導いてくださった先輩方に感謝しつつ、
この新たなスタート、張り切って取り組みたいと思います。

愛情の出し惜しみをする気は、まったく、なし。

miotobi

心地よい夜

2009年08月21日

HOTEL

ラーメン屋へ、軽く一杯ひっかけに行く。
酒の肴は、互いの近況報告。
小学生のころから知っている彼は、
今は墓石を売っている。

真っ黒に日焼けした顔や腕からは、
毎日汗を流す姿が、ありありと目に浮かぶ。

かれこれ半年ぶりの再会は、
ちょっとしたぎこちなさを伴う。

どうもお互い照れくさい。

チーズ明太をつつきながら、
ビールを少々。
彼の飲み方は、変わらない。

墓を掘り起こす話、骨壷の話、普段は聞けない、
墓石業界の裏事情を聞くたび、
私もビールに手が伸びる。

話が途切れることはない。

一杯のビールに感謝したくなる、
こんな夜を、何よりも幸せに感じる。

koji

「誇り」について

2009年08月19日

boss

豊松さんの大将、数年前から元気がなかった。
疲れている様子だった。
去年の夏などは「辞めたい」とほのめかすなど、弱気だった。

実は今回、予約を取ってもらうに当たり、
店が続いているか不安だった。

大将が元気かどうか心配だった。

ところが、一年ぶりに行ってみて、感動した。

某ラーメン店や某ハンバーガー店など、
値上げしたうえに、料理の内容や質を下げる店が、
最近とても目立つ。
毎月1回、松陰神社へ参拝した後で行く、
梅ヶ丘のうなぎ店も同様だ。
値上げしたうえに、蒲焼きのうなぎの大きさが格段に小さくなった。
それも、行くたびにそのことを感じさせる。(いい加減にせえよ!)

最近の経済状況からみて、経営的に苦しいのはよく分かる。
でも、そうした店が当たり前になっているなか、
豊松さんの「料理」を口にして、
改めて凄い!と実感した。

完璧に、以前と、変わらなかった。

と言うか、おしんこの美味さは磨きがかかっていた。
うな重の蒲焼きも、逆に大きくて肉厚になっていたかもしれない。
(ちなみに、松竹梅などのランクがなく
「うな重」一本というのも気持ちがいい、と私は思う)

これは、簡単そうにみえて、なかなかできることじゃあない。
何ゆえにできるのか、何ゆえにやるのか──
このことを想像すると、涙が出てくる。
そこに、店の、そして大将の、凄まじいまでの「誇り」を感じる。
いい意味での、凄まじいまでの「意地」を感じる。

少なくとも一年前、
とてもやる気を失っていた大将に、何があったかは分からない。
でも、どんなに体調がすぐれなくても、
大将が提供する「料理」は、いつも期待を裏切ることはなかった。
だから、店に来る客はみな、幸せな顔をして帰ってゆく。

これが、本当の「プロフェッショナル」だな──そう思いつつ、
あの「料理」を思い出すと、自然と幸せな気分になってくる。

toyomatsu_mini

Taka

太巻きに魅せられて

2009年08月06日

kyoto

京都でおばんざいやさんに行った。

着いたのは閉店1時間前で、
店内にはオトナの常連さん2組しか残っていなかった。

おひとりさまの私は、食事を平らげた後、
常連さんたち(K夫妻とH氏)のお心づかいでど真ん中の席へ移動。
京都散歩術、お仕事でのご経験、様々な出会い、将来の夢──
いろいろなお話を伺ううちに、あっという間に閉店時間になった。

「うちの店は、まだここからなの」と奥さん。
この前は朝方までいらっしゃった方があったのよ、と言いながら、
即席ピザや、ご主人が試しに作ったスナックなどを勧めてくださる。

それと一緒に供されたのが、
常連客H氏が持ってきたという太巻きだった。

飲み食いさせてもらうから、
ひとつ、おいしいものでももってこう──
そんな感覚、そんな関係が、太巻きに表れていた。

さんざんごちそうになって何度もお礼を言う私に、H氏が言った。

「いやいや、いいんですよ。そのかわり!
 京都に来たら、絶対またこのお店に来ること!」

ああ、お店とお客のそういう関係、かっこいい。

「できればまた来たいなぁ」を「絶対にまた来る」に変えるのは、
こうした“人の力”にほかならない。
お店は何十年も前からそこにある。
だけどあの日とまったく同じ日なんて1日もなくて、
それを作るのはやはり人です。

「ここは、なーんだか、ホントに落ち着くんだよね」とH氏。
「その空気はお客さんたちが作ってくれるものですよ」と奥さん。

その空気に包まれながら、その空気に育てられた気がした。
将来自分がオトナになった時は、若人に同じことを言いたいと思った。

人情やおもてなしの心といった目に見えないものは、
人から人へ、こうして脈々と伝えられてきたのでしょう。

miotobi

「ひいらぎ亭」
京都府京都市中京区河原町通り六角東入 六角ビル1F

等しい距離

2009年08月03日

aqu

“仕事のやりがい”と聞くと“達成感”という言葉を思い出す。

学生時代、人事関連のコンサルティングを主な業務とする、
ベンチャー企業の会社説明会に参加した。
学生から出た「仕事のやりがいについて教えてください」という声に、
社長は迷うことなくこう答えていた。
「仕事のやりがいは、達成感である」──と。

熟達したベテラン経営者の悩みを解決するには、
経験で劣る部分を補って余りあるほどの勉強量が不可欠である。
しかし、そのために必要な努力は並大抵のものではない。

「30分のプレゼンで200万稼ぐとする。
その30分を、相手にとっていかに濃密な時間にできるか。
200万以上の価値と思わせることができるか。結局はそれしかない」

達成感という言葉に、
「絶対にやり切るんだ」という覚悟が付いて回ると思うようになったのは、
この時からだったような気がする。
その覚悟を持つ者だけが、何物にも代えがたい達成感を味わうことができる。

けれども、達成感そのものに大小はない。
大小があるとすれば、それは、過程で注いだエネルギーの総量なのではないか。
誰に対しても等しく存在するものだからこそ、
“仕事のやりがい”として“達成感”が印象に残ったのかもしれない。

koji


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