2013年10月01日
2013年07月01日
某ボーカリストが、
言えないことは書けないよ、
と言っていて
それはつまり思っていないことは歌えないということで、
シンパシーというのはおこがましいけれど、
私もそういうふうに思ってきた。
どんな仕事でも、
思っていないことを書いたことはたぶんない。と思う
本屋さんをまわっているとき
神宮前にある本屋さんの店主に、
お客さんから子育ての悩み、聞くことあるんです。
だから、置く本に書いてあることと、
僕が思っていることを、基本的には一致させておきたい。
だからまず読んでみます。
それから決めます。
と言われた。
すべての本屋さんがあの店主のようであったら、とは
かならずしも思わないけれど、
また来ます、あの、…本を買いに。
と伝えた言葉が、
言葉通りに伝わっていたらいいなと思う。
Asa.s
2013年06月14日
森ビルで行われた親鸞フォーラム
「震災×経済×仏教」を聴講。
高橋源一郎、平川克美、鷲田清一のご三方という並びで
福井出身の家内(一向一揆の本場なので真宗なんです)も珍しく同行。
人口減、右肩下がりに震災後という状況下でどうすんのよ──
という問題意識でのお話です。
一般的には成長追求ならグローバル、高付加価値化ということになりますが、
シンポでは資本主義(株式会社システム)の限界を見据え、右肩下がりを前提に
縁(ネットワーク)の再構築や人間の有限性への自覚が必要、
との趣旨が強かったように思います。
話題は様々に転じましたが、印象に残ったフレーズのひとつが
「倫理の基本は、今いない人のことを含めて考えること、
すなわち死者とまだ生まれていない子どもたち。」
東北では死者を忘れないための作業を黙々とやっているということです。
たぶんワタシの仕事(特に年史)にも必要なことかと。
なぜか、はるか昔の彼女に言われた
「ちゃんと恋愛が終わると、別れても相手が天使になって肩の上あたりでみてるんだよ。
だから、恥ずかしくない生き方をしないといけなくなる」
という言葉まで思い出してしまいました。
休憩時に喫煙所に駆け込むと、
平川、鷲田のお二方がタバコを吸いに。
こういうのが喫煙者の役得です。
text by 月岡 誠
2013年04月19日
従弟が急逝してお通夜へ。
もう20年近く前に脳溢血で倒れ、
身体にも顔にも麻痺が残っていたのだが、
死に顔はすごく穏やかで、
ずっと面倒をみてきたその弟は、
「昔に戻ったみたいなんだよね」と言った。
麻痺というのは
必死に生きようとするがゆえに歪んでしまう
人間みたいなものか。
ワタシの歪みも最期はきれいになんのかな。
などとお浄めの席でタバコを吸いつつぼんやりしてたところ、
亡くなった従弟の叔父さんにあたるコーイチさんが向かいの席に。
もう十何年も会っておらず、こちらは覚えているが、
向こうはワタシが誰だかわからなかったため、
母親の名を挙げて「の息子です」と自己紹介。
帰る前にコーイチ叔父さんは、
「いや、今日は〇〇ちゃん(母親)の息子に会えて嬉しい」
と言った。
弔いは出会いの場でもあったりする。
moon hill
2013年04月16日
人に想像させる「余白」というのが、
私はとてもすきです。
人やモノ、コトについて誰かに伝えたいとき
全てを言い切ってしまっては、人の思考は停止する。
全てを言い切ってしまわずに、想像する余地を残してあげる。
これが、大学4年間で
一番心に沁みついている学びです。
でも余白のつくり方を、私は大学では習得できませんでした。
ただ、少しだけ頭で理解しはじめているのは、
相手の前に、そっと事実を積み重ねていくことが、
余白を生み出す鍵になるのではないかということ。
積み木のように、一つひとつ事実を積み上げていくことで、
それがやがて輪郭を帯び、
何らかの姿でそこに在る。
人は、与えられた事実を材料に想像力を働かせ、その「何らかの姿」を目にする。
それを目にしたとき、人は大きな学びを得る。
事実を積み上げていく作業は、
地味で、地道で、長い道のりを歩き続ける武者修行のようで、
きっと、その旅のスタートに、私は今いるんじゃないかと、思っています。
kuri